「目の前の人を大切にすること」カウンセラー 山根 恒さん
目次
・【所属 名前】
・【インタビュアーからのひとこと】
・今のお仕事について
・カウンセラーになったきっかけ
・心に残ったエピソード
・今の社会に思うこと
・学生へのメッセージ
【所属 名前】
カウンセラー 山根 恒さん
【インタビュアーからのひとこと】
人に寄り添う、心から向き合うお仕事であるカウンセラー。少しでも人を大切にする行動や気持ちをもつだけで社会は変わっていくのだと感じました。また、子どもを始め、町の人々を繋ぐ第3の居場所である子ども食堂はとても魅力的です。山根さんのお話の中で、皆さんに伝えたい事がたくさんあるので、記事が長文になっていますがご了承ください…!
Q.今のお仕事について教えてください。
A.鳥取県刑務所の処遇カウンセラー、人権相談センター(週末)ハローワーク(月1回)、人権局UD推進専門員、パレットとっとりで子ども食堂(週2回)をしています。
Q.カウンセラーになられた経緯を教えてください。
A.どの仕事も「人の相談にのる」という点で共通していると思う。
最初、27歳までコンピューターのシステムエンジニアとして働き、児童館で3年間働き、鳥取商工会議所で経営指導員として10年間働いた後、カウンセラーの資格をとって現在に至る。実は、高校生の頃からカウンセラーに興味はあったが、取得方法がわからなかった。働き出してから、高校生の活動を支援する活動に関わっっているうちに、高校生の悩みを聴くことが多くなり、高校の教員や先輩にカウンセラーに向いてるんじゃないの?と言われたのでやってみようと思った。振り返ってみると、一見関連性がない経歴だと思われるけれど、「人の相談にのる」という点では共通していると思う。
Q.子ども食堂をつくったきっかけは何ですか?
A.コンセプトは「誰もがわくわくするような場所」
受験や進学、就職といったライフイベントを迎える中学生・高校生に来てほしいと思い、駅に近いまちなかにつくりたいと思っていた時に、当時の本通り商店街の理事長が「子どもがたくさん集まるなら、パレットとっとりを使え。」と後押ししてくれた。町に賑わいをつくりたいという思いと子どもを集めたいという思いがマッチした。コンセプトは、子どもに限らず、その保護者を始め「利用してくれる人を大切にする」ということと、「誰もがわくわくするような場所」。運営には、カウンセラー、管理栄養士、元小学校の校長先生、大学生、高校生が関わっていて、利用する子どもの保護者も生活や子育ての事などを気軽に相談できる場所にもなっている。今は「子ども食堂」という名前だが、将来は子ども食堂を核にしながら、「地域食堂」を目指している。
Q.子ども食堂の魅力は何ですか?
A.たくさんの知恵が集まる場所。
子ども食堂にはいろんな可能性がある。食堂をツールにして誰もが集える場所になる。そこにいろんな人がいるから、いろんな知恵が集まる。例えば、どんな地域にしようかと話をしたり、課題があれば解決方法を出して一緒にやろうという話になるなど、地域力を高めていくこともできると思う。
Q.心に残ったエピソードはありますか?
A.家庭の都合で子ども食堂に行けない日、ある子どもたちが母親に「連れて行ってー!送ってくれるだけでいいから!」と泣きながら訴えていたこと。宿題を終わらせないと子ども食堂に行かせないというルールをつくったら子ども食堂がない日でも宿題をするように習慣がついたこと。あるお母さんの仕事が決まらないことで悩んでいたが、食堂に来て話をすることで、次も頑張ろう!という気持ちになっていること。
Q.社会に思うことはありますか?
A.もっと人を大切にしようよ。
例えば、困っている人を対象外だからといって簡単に突き放すのではなくて、その人がもう少し生きやすくするためにはどうしたら良いだろうかと一緒に考えるような対応をするだけで、自分の気持ちを聞いてもらえたと思って帰ることができる。人を大切にすればギスギスした社会にならないんじゃないかな。…現代は余裕がないからかな。昔は、皆が裕福ではなかったけれど、寛容さはあった。寛容さがないから人を大切にできないんじゃないかな。
Q.学生へメッセージ
辛いときには「助けて」って言っていいんだよ。でも本当に言って良いんだろうかと思うよね。それは、自分で何でもやらなければならないって社会が思わせているだけだから。
「共感力」を高めてください。そうするともっと人を大切にできるようになる。
また、人のために働く理由として、今の自分があるのはその時々にいろんな人に支えられてきたから。処遇カウンセラーとして罪を犯した人の成育歴を見ると、その人は最初から罪を犯す人ではなくて、ある出来事が起きた時に、そばで寄り添ってくれる人がいれば生き方は変わっていたんじゃないかと思う人が多い。その人に関わる人によって生き方が変わる。皆さんが、今の自分があるのは、自分の努力はもちろんだが、いろいろな場面で関わってくれる人がいたからだと思います。
▼パレット鳥取 子ども食堂の情報は『パレットこども食堂』(Facebook)で検索!
▼鳥取市の子ども食堂情報は『鳥取市公式ウェブサイト 子ども食堂』で検索!
インタビュアー:大國&稲葉
文責:大國
「鳥取の大学生に社会(鳥取)を知ってもらいたい」 鳥取大学 COC+事業推進室 地域連携コーディネーター 沖正弘さん
目次
・[所属 名前]
・[インタビュアーからのひとこと]
・[大切にしていること]
・[鳥取で働くとは?]
・[今後の目標]
[所属 名前]
鳥取大学 COC+事業推進室
地域連携コーディネーター 沖正弘さん
[インタビュアーからのひとこと]
お仕事のこと人生のことなどインタビューを通してたくさんのことを教えていただきました。銀行員という職1つ挙げても経済系だけではなく、国際系や法律のことも関わってくるなど仕事の可能性が広がりました。また、COC+の取組みも紹介していただきぜひ利用させていただきたいと思いました。
[職業・仕事内容]
Q.ご職業とお仕事の内容を教えてください。
A.平成27年に鳥取大学が採択を受けた文部科学省の補助事業(5年間)であるCOC+事業のコーディネーターの仕事をしています。
前職は、銀行員をしていてこのCOC+事業のコーディネーターとして鳥取大学に派遣されて3年目になります。仕事内容としては、COC+セミナーの企画・開催や鳥取の企業を見るためのシャトル便の運営等々多岐に渡ります。学生に鳥取を知ってもらいながら世界を広げ鳥取での就職を目標に仕事をしています。
[仕事を始める前までのこと]
Q.前職のこと、お仕事を始める前までのことを教えてください
A.前職は、銀行員でした。仕事を始める前から今もずっと外国(英語)に興味があります。
若い頃、京都で外国人と会って話したことから英語が好きになりました。日本人同士で英語を話すのとはなんか違いましたね。英語と法律の職に就きたいと思い始めた頃、銀行員でも外国為替などで英語を使えることを知り銀行員になりました。銀行員と自分のベクトルが合っていました。銀行員として頑張り、東京へ行けることになりそこでは英語も必要になり英語と法律の仕事がしたいという目標が達成できました。国際分野の経験が全体の三分の一を占めており、普通の銀行員とは一味違った人生を経ています。
[大切にしていること]
Q.大切にしている考え方は何ですか?
A.「人生塞翁が馬」、「順境には用心を逆境には忍耐を」、「財産は友なり」の言葉です。
人生の幸不幸は予測できないもので、人生のブレは考えないようにしています。マイナスに思っていても無駄はないと思っています。お金はいずれなくなるが友達はそうではなくて財産ですね。当たり前のことを当たり前にすることが大切です。
また、商売をする際にその地域の方言を話すことを大切にしています。そこの地の言葉をしゃべれないと商売できないですからね。
[鳥取で働くこと]
Q.沖さんにとって、鳥取で働くことについて教えてください
A.人は東京に集まりやすいですが鳥取は環境(自然)が良いです。都会はたまに遊びに行く程度だから良いと思います。私にとって、鳥取はふるさとです。
若者に県外に出るなら東京とかではなく海外に目を向けなさいと伝えたいですね。今の世の中、地方を通して世界を見てほしいなと思っています。
[今後の目標]
Q.今後の目標を教えてください
A.最後まで走り抜けたいです。
仕事を通して、今の学生が地元で活躍できるようになるための人材育成をすることが目標です。今の仕事を土台に次のステージへつなげたいですね。今、鳥取に来ている学生に鳥取に定着してもらいたいですね。鳥取県外に出るのは良いのですが、鳥取の企業を知ったうえで出てほしいです。
[学生へのメッセージ]
サントリーブランデー「VSOP」をもじって
V:Variety 20代 いろいろやる(体験)
S:Speciality 30代 得意(専門)分野を持つ
O:Originality 40代 独創性を備える
P:Personarlity 50代 人間性を磨く
を伝えたいです。失敗は未来の成功につながっています。「シンプルイズベスト」です。
また、時間を守ること挨拶をすることが当たり前にできるようになると信用につながりますね。
インタビュアー:岡本&秋山
文責:岡本
「自分がされて嬉しかったこと、してほしかったことは人にする。それは巡り巡って自分の子どもや孫に返ってくるから。」岩美町地域連携コーディネーター 島本理代さん
目次
・〔所属・名前〕
・〔インタビュアーからのひとこと〕
・〔職業・仕事内容〕
・〔仕事を始めたきっかけ〕
・〔仕事のやりがい〕
・〔岩美町について〕
・〔支えてくれるもの、大切にしている事〕
・〔学生へのメッセージ〕
[所属 名前]
岩美町地域連携コーディネーター 島本理代さん
[インタビュアーからのひとこと]
岩美が大好きで、「笑顔」を大切にされている島本さん。インタビュー中に言われていた一つひとつの言葉がとても心に響きました。私も、島本さんのように誰かのため地域のために何かできるような人になりたいなと思いました。また、岩美町の良いところをたくさん教えてもらったのでぜひ訪れてみたいです!
[職業・仕事内容]
Q.ご職業とお仕事の内容を教えてください。
A.岩美町地域連携コーディネーターという、“地域連携“に特化した職業です。
主に、岩美町にある県立高校と、岩美町を主軸にしたあらゆるヒト・モノ・コトとを繋いでそれぞれの可能性を拡げ、そこに生まれた魅力を発信していく仕事をしています。
[その仕事を始めたきっかけ]
Q.その仕事をはじめられたきっかけは何ですか?
A.岩美町が大好きで、岩美町で生活がしたかったから。
初めて岩美町を訪れた時に、景色、人、食べ物に魅了されました。それから頻繁に岩美町を訪れるようになり、町内の方に「(そんなに頻繁に来るなら)引っ越してきたら?」と言われ、「この仕事(地域おこし協力隊)募集しているよ。」と紹介されて、岩美町にIターンし、現在の仕事の前身である高校魅力化コーディネーターをすることになりました。
[仕事のやりがい]
Q.やりがいは何ですか?
A.高校生をはじめ、関わる方の笑顔が全てのやりがいです。
高校で展開している地域課題解決型学習(実践型)などによって、以前と比べ地域の方々と高校生が積極的に関わる機会が増えたため、地域の方々から「高校生と関わることでやりがいを見いだせて元気が出たよ。」、「高校生に自分の知識や技術を教えられる、若い人たちと一緒に何かやれることが自信につながったよ。」と笑顔を向けてくださることが増えました。
みなさんの笑顔を引き出せる瞬間がとてもうれしいです。高校生のキラキラした姿を見ることができるのもうれしいですね。
[岩美町について]
Q.岩美町のどこに魅了されましたか?
A.岩美町のみんなが家族のような存在で、見ず知らずの人もウェルカムなところかな。
岩美町に来る前は、島根県松江市で暮らしていて、隣に誰が住んでいるのかさえ知る機会がない(接点がない)生活を送っていました。でも岩美町はみんなが家族のように迎え入れてくれて、それぞれが自然と助け合って生活しています。また便利なモノが良いと思われがちだけど、手間をかけることが大事なことだなと思わせてくれたのも岩美町での暮らしでした。そうすることで、より「生きてるなぁ…」としみじみ感じることができるからです。
食べ物や行事から季節を感じることができるところも素敵です。毎日新しい発見があり飽きないですね。
Q.岩美町の課題点は何ですか?
A.岩美で見られる光景が特別なことだと思っていないことです。
例えば、たくさん獲れたからお裾分け…と、家に野菜や魚を届けてくれたり、歩いていると「乗せていってあげるよ」と車に乗せてくれたり…そういうことが当たり前のように行われているけれど全部特別でとっても素敵なことだなと思います。
また、中山間地域であればどこもが抱えているであろう少子高齢化問題ですが、防ぐこと・解消することはとても難しいと思います。自分たちの地域をどうすれば残していけるか、守っていけるかを高校生のうちからジブンゴトとして捉えることができるようになるということが大切かな。高校を卒業して、一度都会(ソト)に出てもいいから、また故郷(ウチ)に還ってくる流れを作れたらと思います。地域の担い手・創り手をウチに閉じ込めようとするのではなくて、一度広い世界に羽ばたいても、また戻ってきたいと思わせることが重要かなと思っています。
[支えてくれるもの、大切にしていること]
Q.支えてくれるものは何ですか?
A.高校生たちの笑顔です。
最近嬉しかったことは、「僕らの学校を頼んだよ」と卒業生に言われたことです。中山間地域にある学校は小・中・高校とも少子化の影響で統廃合の危機にさらされているところが多いのが現状です。「僕らの学校をなくさないで」と言われた時に、良い意味でのプレッシャーと頼りにしてくれているという嬉しさで、よし頑張ろう!ってなりました。また、生徒たちが、「こんなことがしてみたい!」と企画を立ち上げてチャレンジしていく姿を見ていると元気をもらえます。
誰かの”チャレンジしたいこと“のお手伝い、願いを叶えるためのサポートをさせてもらえるこの仕事はとてもやりがいがありすごく楽しいです。
Q.大切にしていることはありますか?
A.「反省しても後悔するな」という言葉です。また、おばあちゃんが言ってくれた言葉も大切にしています。
今していることは、どれも自分が“チャレンジしたい”という思いから選択したことです。私は自然とワクワクして何をやっていても楽しさを感じています。
たまに落ち込んだりもしますが、そんな時は県外などに出かけ、切り替える時間を取っています。その場を1回離れてみる勇気も大切。また新鮮な気持ちで続けてみるようにしています。
幼い頃、おばあちゃんに「あんたは器量もない、かわいそうにな。でも誰にでも輝くものがある。それは笑顔。笑顔でいたら可愛がってもらえるから。」と言われてからは、笑顔でいることを大切にしています。また、「なんもない」と言われたことも、考え方を変えれば、何でもできて、何にでもなれるじゃんと思えて自分の可能性を考えるとワクワクしました。この言葉以外にも生きる上での大切なことをたくさん教えてくれたおばあちゃんのことを今でも尊敬しています。
[学生へのメッセージ]
なんにでもトライしてみんさいな。自分のチャレンジにゴール設定はせずに、ここまでって限界を決めないことが大切です。いろんなことにチャレンジして、可能性をどんどん広げて欲しいです。
インタビュアー:岡本&佐伯
文責:岡本
「人の縁って不思議なもので、何かしら繋がってくるんですよね。」智頭急行株式会社運転士 伊田大輝さん
目次
・[所属・お名前]
・[インタビュアーからのひとこと]
・[職業・仕事内容]
・[きっかけ]
・[大切にされていること]
・[鳥取で働くことについて]
・[鳥取に求めるもの]
・[学生へのメッセージ]
・所属・お名前
・インタビュアーからのひとこと
スーパーはくとがきっかけで智頭急行の運転士になられました。子供の頃からの憧れを一直線に追いかけて、それをお仕事になさった素敵な方です。
Q:お仕事の内容を教えてください。
A:スーパーはくと、スーパーいなばの2つの特急列車と普通列車を智頭急行区間内で運転しています。
Q: 今のご職業を目指された理由を教えてください。
A:自分は用瀬(鳥取県)で生まれ育ったんですけど、小学校の修学旅行で関西方面に行くときにスーパーはくとの先頭車両を1両貸し切って、大阪まで行ったんですけど、そのときにはくとの先頭を見て、「あぁ、将来運転できたらいいな」っていう、そういうのが芽生えたのは12歳の頃。だから、今の会社もそうですけど、はくとで目覚めてしまった、というのが一番大きなところですね。高校2年生の秋頃から学校に智頭急行に就職したいということは言い続けていて、3年生の時に求人が来たので智頭急行に決めました。自分が考えていたのは地元に残りたいということでしたが、JRは営業する範囲が広いので、どこに行けと言われてもおかしくなく、なかなか鳥取に帰ってこられなくなる。鳥取に帰ってこられたとしても米子だったりするので、それなら、ということで智頭急行に決めました。
会社を17歳の時から知らべていて、18歳の時に会社を訪問させていただいたりしてました。合同説明会で会社のブースがあったのでそこに行って、「詳しいお話をお聞きしたいのですがどうすればよろしいですか」って聞いたら「学校から会社に連絡をください」ということだったので学校に連絡してもらって、一人で会社まで行きました。(会社の方に)「一人で来たのは初めてだよ。大体は説明会だけで終わっちゃうんだけどね」って言われました。
Q:お仕事の中で気を遣うところ、大切にされていることはありますか?
A:車掌時代はやっぱり観光案内。車掌だと倉吉にも行きますので、沿線のことを知っておかなくちゃいけない。自分は湖陵高校出身で、用瀬から鳥取大学前まで列車で通学していたので、湖山池があるとか、いろんなところがあるっていうのは知ってました。情報は逐一入れるようにしています。地区のイベントだったり、例えば鳥取駅から鳥取砂丘にどう行くのか、とか、どういうバスの行き先があったかなとか。あとはコンサートがあるとか、学会発表があるとか。そういう時はお客さんが多くなってくるので、運転士としてもちょっとピリピリしてたり気を遣ったりはしますね。
Q:鳥取で働くことについて教えてください
A:自分は地元に恩義があるというか、いろんな人にお世話になって、社会人になってもお世話になりっぱなしなところも多いんですけど、少しでも恩返しがしたいっていう思いが心の中にあるので。全国大会やインターハイに出たなんてことはないけれど、地元で柔道をやっていたので、今は指導者の一人としても、審判とか、大会運営とかで自分にできることをやりたい、地元に貢献したいというのはありますね。
A:自分が努力しなくちゃいけないなと思うのは、智頭急行という会社の知名度です。「鳥取の鉄道会社ってどこが思い浮かびますか?」と聞いても智頭急行の名前はなかなか出ないんです。でも、「鳥取の列車って何がありますか?」と聞くとスーパーはくとの名前は出てくるんです。はくとの名前は出るんですけど、「スーパーはくとが智頭急行の車両か」と聞かれるとあまりピンとこない人が多いです。「JRの車両じゃ ないんですか?」と言われることがよくあります。「スーパーはくと=智頭急行」になってないんです。なので、自分がまずしなくちゃいけないのは、はくとが智頭急行の車両であることを説明して、人々の認識を「スーパーはくと=智頭急行」にすることです。それができることで会社の知名度はぐっと上がると思います。
A:(鳥取県)東部の方って、あんまりしゃべらないですね。東部は特にそうだと思いますね。シャイな方が結構いらっしゃいますし。「(メディアの)インタビューなんかで鳥取駅に行くとあんまり人がしゃべりたがらない。『インタビュー泣かせ』だ」なんてことは言われますね。米子のほうに行くと明るくて、インタビューなんかも答えていただけるらしいんですけど。伝えるのがあんまり得意じゃないのかな? 自分もそうですけど。風土として大人しいというか。でも、人に親切にすること。あれはすごいと思いますけどね。親密になればその分みんな協力してくれたり、深く話ができたりするんですけど、最初の取っ組み方、接し方ですよね。そこがちょっと…… 初めての人にはちょっと冷たいというか、そういうところはありますね。
・学生へのメッセージをお願いします
チャンスはいっぱいあるし、どこにでも転がっているから、それを見つけることが大事。人の縁って不思議なもので、何かしら繋がってくるんですよね。誰かがやっぱり見てるんですね。
インタビュアー:木下&山本
文責:木下
「何事も行動あるべし!前向きを大切に!」鈴木 佑介さん 高等学校教諭
目次
・【所属 名前】
・【インタビュアーからのひとこと】
・大切にしている考え方
・学生へのメッセージ
【所属 名前】
鳥取県私立鳥取城北高等学校理科教諭 鈴木 佑介 さん(教員4年目)
【インタビュアーからのひとこと】
「教員」といった職業を耳にしたときに私の周りの友人は「先生って大変だね」とか「子どものことが好きじゃないとやっていけないよね」などと話をします。確かに「教員」って子どものことを第一に考えなくてはならないし、最近ではいじめや不登校などの問題も絶えず起きている中で子どものことを守っていけるのかといった不安は確かにあります。しかし今回、鈴木先生とのインタビューの中で「教員」とは子どもに何かを教えると同時に教員も学ぶことはたくさんある。そのためには人間関係を築くとともに何事も楽しむ姿勢をみせることが大切であると熱く語ってくださいました。本当に教員になってから様々な経験を積んできたからこそ、先生ならでは大切にしているとともに充実な時間を過ごしているのだと感じました。
私自身も教員を目指すまでに鈴木先生のように今を大切に生きていきたいと考えました。
Q.教員1年目のころのことを教えてください。
A.仕事をこなすのに精いっぱい。子どものことを考えるのは二の次に。
1年目は副担任を担当。当初は教師の仕事はどういうものであるのかといった勉強期間に充てていた。新任当時は生徒とのコミュニケーションをどう図ればいいのかわからなかった。それと同時に授業準備や事務的な仕事も私が思っていたほどたくさんあり、子どものことを考えることを後回しにしてしまった。しかも私はバドミントンをやっていたんですが、1年目からバドミントン部の顧問を持つことになりました。高校は6月ごろに県総体があり3年生にとっては最後の大会。4月に新しく入った私が残りの3か月で特に3年生にどういう声掛けや指導ができるのかわからなかった。しかしバドミントンは冬に初心者大会というものがありそこで見事優勝してくれたことが何よりもうれしかったです。今振り返ってみれば、勉強も部活も私が1年目に関わった生徒に関しては申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
Q.鈴木先生の中で大切にしている考え方・理由を教えてください。
A.下学上達(ががくじょうたつ)→当事者意識を感じてほしい。
鳥取城北高校では教員1人1人がネームタグをかけているのですが、そこに教師が大切にしたいことを書く欄があるんですね。私は「下学上達」って書きました。意味は生きている中で日々、様々なところから学んで、次第に深い学問に進んでいくこと。私はそのために常に生徒と関わるとこを忘れないように自分に言い聞かせてます。単純接触効果といって用がなくても、ちょっとした会話は交わすようにしています。そういう点でどの職業に就いても人間関系・信頼関係は大切ですね。私は「言う」のではなく「伝わる」といった風にし、関わりの中でも指導できるように気軽に悩みなどを聞き出しやすい環境を整えたいです。まだそのところは今後の課題でもありますね。
Q. 高校教員になるための決意は何だったのか教えてください。
A. 母校(高校)実習に行ったのがきっかけ。子どもの一生懸命さに感動。
教育実習で生徒と過ごす日々が楽しかった。私は自分の地元の高校を卒業したので、教育実習は自分の高校に実習に行こうと決めていました。高校生から学ぶことがたくさんありました。特に高校生はすぐに話しかけてくれたり関わる楽しさを教えてくれたり、頼られることの大切さを改めて感じさせてくれた。中でも母校の男子バスケ部の試合を見ていた時に授業で関わったことのある子も試合に出ていたのだが、普段授業では見せることのない一生懸命さに感動した。高校は人間形成能力の育成の場で生徒の成長とともに将来を見据えている子の持ち込むエネルギーに圧倒してしまい自分もこの現場に身を置きたいといった思いがあふれ出し、将来は高校の教員になると固く決意しました。
Q.学生へメッセージ
私が学生に伝えたいことは、大学生の間にいろんなことに挑戦してほしいといったこと。学生のうちに例えば教師になりたいなら教員になるための学習だけをするのではなく、様々なジャンルのことを学んで1つでも多くのことを吸収してほしいです。途中でうまくいかなくても大丈夫。大事なのは何かをやってみようといった気持ちを持つことが大切。何かを成し遂げるためには必ず時間をかける必要がある。時間をかけること自体に大きな意味があると私は思う。最後に何かに失敗したとき人は何かを抱えたり心配になることがありますが大体何とでもなります。むしろ思いつめることではなくあきらめず前に進むといった姿勢をとってください。
インタビュアー:田中&長谷部
文責:田中
「自分事としてとらえていく」株式会社LASSIC 太中啓介さん
目次
◯所属・名前
◯インタビュアーから一言
◯職業、仕事内容
◯学生時代のこと
◯きっかけ
◯仕事
◯今後の目標
◯学生へのメッセージ
[所属・名前]
株式会社LASSIC BizNextグループマネージャー
太中啓介さん
[インタビュアーから一言]
スマートな受け答えがかっこいい方です。
インタビューの中で、「優秀な人たちが地元に帰ってこれる場所をつくりたい」「それをやっていけるだけの実力やスキルをつけたい」と私たちに教えてくださいました。
将来とか未来と考えると遠い先のように思えるけど、太中さんのお話から、日々の思いを日々の行動に移していくことの積み重ねなのだと感じました。
[職業・仕事内容]
Q.お仕事の内容を教えてください
A.感情解析技術の研究開発をする部署に所属し、マネージャーをしています。
感情解析技術やAIなどの先端技術を使って、新規事業を立ち上げ、新しい収益の柱つくっています。
[学生時代]
Q.どんな学生時代を過ごしましたか?
A.もともと鳥取出身で、県外の大学に進学しました。
なので、航空宇宙分野を勉強することができる大学に進学しました。
大学時代は充実していたと思います。
サッカーサークルに所属して、キャプテンを務めていました。
[きっかけ]
Q.鳥取に戻ると決断されたのはなぜですか?
A.就職活動していた時に、世界に飛びだしていく大企業にいくのか、地元に帰るのかという2つの選択肢がありました。一応どちらも視野にいれて就活を行っていました。
自己分析をする中で、自分は鳥取で生まれ育って、親にも環境にも感謝しているということと、自分が将来子育てをするのであれば、自分がのびのびと育ててもらえたように、自分のこどもにもしてあげたいなという思いがありました。また、地元が好きで地元に戻りたい気持ちはあっても、仕事内容や職種のことを考えるとやはり東京だなと考える人がいるということ、こういう人達が地元に帰れば鳥取にとってもいいのに・・・という思いがありました。
でかい会社に入って、でかいことしてやろうという人はいくらでもいると思うんです。
けど人口最小県である鳥取でなにかしたいと思う人は限られると思ったんです。じゃあそこは自分がやるべきことなんじゃないかと思い始めました。
こういう思いから鳥取の会社をみてみるきかっけになりました。
この会社に入社したのも、社員の方が未来の話や思いをワクワクしながら語る姿に感化されて、今自分はここにいるんです。
[仕事]
Q.仕事に対して求めるものはありますか?
A.う~ん、一言で言うなら「自己実現」という言葉かな。
ありたい自分であるための手段という感覚です。
人に感謝してもらえるだけの価値を提供したい、同級生とかが帰ってこれるような場を作りたい、鳥取を元気にしたい、、、、それが自分のやりたいことだと思ってて、それをできるような自分になりたい思いがあるんです。それをやっていく過程・場所が仕事とか会社かなって捉えています。
Q.お仕事をされていて、うまくいかないときもあると思いますが、それをどんな風に対処されていますか?
A.もちろん仕事の中で辛いときもあるけれど、総じてポジティブに捉えています。
自分で選んだ道だし、そこで出くわすものも自分が選んだものなので。
自分事として捉えています
社会人2,3年目の時、会社や上司に不満を持ったこともあったんですけれど、後になって振り返ってみると、すべて人のせいにしている、と気づいたんです。うまくいかないのはあれのせいだ、とか、あの人がああだから、とか、、、。
自分があの人の立場だったら…とか、その人に対して自分はどんな働きかけができるだろう・・・というものがその時の自分には乏しかったんだと思います。
自分事として働きかけて変えていく姿勢が、いろんなことにうまく向き合えることにつながると思っています。
[今後の目標]
Q.これからの目標を教えてください!
A.優秀な人たちが地元に帰ってこれる場所をつくりたいです。
それをやっていけるだけの実力やスキルを持った自分になりたい
高校生とかに伝えていけることがあれば伝えていきたいともおもいます。
[学生へのメッセージ]
Q.学生へ言いたいことはありますか?
A.優秀な学生さんが多いと思います。
学生のうちに社会と関わりを持つことが一般化しているなとも感じます。
いろんなことしてるのに将来に不安なのが不思議です。
可能性が無限大にあるのは夢や希望だらけということでもあると思います。
正解を探そうとしてるのかな。
正解ってない。
物事には表と裏があるし。
視野が広がったから選択肢が増えたのであって、悲観的になる必要もないと思います。
その先に行ってうまくいかなかったから人生終わり、というわけではない
どれだって楽しい人生。
不安に思わなくていい。
そう思います。
インタビュアー:稲葉・佐伯
文責:稲葉
「自分がどう在りたいかが大事」 株式会社アクシス 地方創生室 梶岡大晃さん
目次
◯所属・名前
◯職業、仕事内容
◯学生時代のこと
◯きっかけ
◯今後の目標
◯学生へのメッセージ
[所属・名前]
株式会社アクシス 地方創生室
梶岡大晃さん
[インタビュアーから一言]
初めて出会う考え方の持ち主でした
梶岡さんの「自分はどう在りたいのか」という言葉は、
今まさに将来のことを考える私の心にとても響きました
また、地元の岡山をとても愛していて、私も地元に帰って家族に会いたくなりました
[職業・仕事内容]
地方創生室で、企画立案の部分を担当されています。0→1を作り、そしてそれを広めるために日々奮闘されています。自らを「ソトとナカをつなぐ役」と表現され、社外の人とコミュニケーションをとることで新たな企画を形にしていらっしゃいます。
[学生時代]
Q.どんな学生時代でしたか?
A.高専に通ってました。高校と短大がくっついたやつが高専本体で、自分は専攻科までいったんよね。高専に入るまでの生活は勉強三昧で楽しくなかった。自由な校風や環境に憧れて高専に行くことを決めました。
高専時代は、楽しかったです。自由なところがよかったんです。
3年生くらいまではめっちゃふざけてました。
高専ってめっちゃ自由だったから、誰にも迷惑のかけないふざけ方をしてましたね。
早弁したり、授業中にマリカー対戦したり、授業抜けたり・・・
基本高専は5年までで、専攻科に行くにしても1回卒業して入り直さんといけんくて、4年生の成績が企業に行くから、4年は真面目にして・・・って感じ。
そもそも3年までもそこまでふざけてなかったかな。
[きっかけ]
Q.鳥取に来るきっかけはなんだったんですか?
A.高専を卒業して、大阪でシステムエンジニアとして働き始めました。4年間勤務したものの合わないと感じて退社しました。
性格的に1日中同じところにいるのが苦痛だったのと、もっと外に出てお客様の顔が見たいと思ったので退社を決意しました。
その時は何も考えずにやめたけど、今思えばよく次を決めずにやめたな、、、(笑)
でもあの時やめたから今があるんだなとも思います。
そんな時に誘われた飲み会にアクシス社長である坂本さんをはじめ自分が鳥取に来るきっかけになる人たちと出会いました。
めっちゃかっこいい人たちが田舎におるな!って思いました。
アクシスへの入社を決意したのも、社長の人柄と、地方で魅力を発信しながら稼ぐというビジョンに共感したからです。
実際に鳥取に来てみて、関わる方はみんな優しいし楽しい。いろんなイベントにも参加させてもらって人脈も広がって嬉しいです。
[今後の目標]
Q.今後の夢や目標はありますか?
A.理想は地元に拠点を置きながら活動することです。
住んでたところが、めっちゃ田舎だけど、めっちゃいいんですよ!
家族にも会いたいですし、、、
そういうところが廃れていくのが悲しいなって思うんです。
なので将来的には岡山(地元)と鳥取の2拠点で活動をしていきたいです。
今は、在りたい自分に向かっている途中です。
社長は、稼いでいれば働く場所は問わない考えの方で(笑)
そういうのって地方ではなかなか無いので、最先端を走っている会社だと思います。
[学生へのメッセージ]
Q.学生へのメッセージをお願いします。
A..経験しないと何事もわからない
興味のあるなしもやってみないとわからない
自分が何になりたいかをフォーカスする必要はない。
自分がどう在りたいかが大事。そこから逆算していけばいい。
自分の気持ち優先して選ぶこと。
やりたければやればいいし、やりたくなければやらなくていい。
変に合わす必要はない
実際に経験して、あぁあの人が言ってたのはこういうことか、と分かればいい。
無理してやると絶対どこかで歪が生まれる。自己嫌悪になる
事象に対して自分が勝手に良い悪いを決めてるだけ。
こうあるべきだと思うと苦しい。
すべてのことを受け入れる。
矛盾すらも。
やりたいことをやったらいいと思います。
やっちゃダメとか誰も決めてないから。
株式会社アクシスのHPはこちら↓
◯インタビュワー:稲葉&佐伯
文責:稲葉