ぱんぴっと! インタビュー記事

NPO法人学生人材バンク学生プロジェクト「ぱんぴっと!」。鳥取で活躍する魅力的な社会人へのインタビュー記事を掲載していきます。

鳥取の中高生を大学生や社会人と繋げたい! 鳥取大学地域学部地域教育学科4年 和泉克軌さん

鳥取の中高生を大学生や社会人と繋ぎたい!」

鳥取大学 地域学部 地域教育学科4年 和泉克軌さん

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和泉克軌さん

 

 

◦熱血教師との出会いから教師を目指す
鳥取大学のだっぴに出会って
◦進路に悩む
◦岡山へインターン
◦これからやろうとしていること
◦後輩へのメッセージ

 

【インタビュアーからの一言】
お話ししていて、こちらと本気で向き合ってくださっていると感じました。
自分が夢中になれるものを見つけていて、教育に対してとても真剣な思いを持っています。
自身のやりたいことに対してはっきりとした熱意を持っている、リーダーのような方です。

 

【所属 名前】
鳥取大学 地域学部 地域教育学科 4年
だっぴ(現pump+it!)元代表
和泉克軌さん

 

高校の熱血教師との出会いから教師を目指す
~愛があって、生徒にすごく向き合ってくれる、その先生の影響で教師になろうかなと思いました~

角田:なぜ地域学部に進学したのですか?

和泉:小学校の先生になりたかったからですね。今は教員を志望していないけど。

 

角田:なぜ小学校の先生になりたかったのですか?

和泉:高校2年生の時の、金八先生みたいな「熱血教師」の影響があったからです。
高校受験で周りから無理だと言われていた学校に挑戦して、結局玉砕しちゃって。その時期はわりと病んでて、高1までモチベーションの低いまま過ごしてました。

だけど高校2年生の時に、今絶対いないような「熱血教師」に出会いました。その先生は話すのがうまくて、生徒に向き合う時間がめちゃくちゃ長い先生なんです。
僕と同じように高校受験で失敗した人たちのいるクラスの担任で、「上を目指せ!志望していた高校は落ちたけど、大学で見返してやれ!」と言われて、モチベーションが上がっていきました。

愛があって、生徒にすごく向き合ってくれる、忘れられない感じのインパクトの強い先生でした。その先生の影響で教師になろうかなと思いました。

 

鳥取大学のだっぴに出会って
~自分たちで作ろうという気持ち、走りながらこれは違うよねって、お互い言いたいことは言う、チーム感や距離感が良かった~

角田:高校で会われた熱血教師に憧れて、教師を目指されたのですね。小学校の先生から目標が変わったのはいつですか?

和泉:いつ頃からかは覚えてないけど、当時大学1年の時に鳥大のだっぴに入って、小学校の先生、英語の先生に何人かインタビューに行かせてもらいました。
インタビューに行ったことで、出会いがより多い「高校の先生」に変わりました。
あの熱血教師に出会い、自分の人生が変わったのが高校生の時だったから。

 

角田:鳥取大学のだっぴに入った理由を教えて下さい。

和泉:鳥取大学に入学後、もともとサッカーに興味があったのでサッカー部に入りました。
その後、新歓でたまたま「だっぴ」の名前を見て、「あれ?岡山だけじゃないんだ。」と思って行ってみました。
岡山だっぴ*1 」に高校生の時、先生に勧められて行ったことがあったんです。
その新歓で、高校の時に「岡山だっぴ」に行ったと話したら、当時の代表の方に半ば強引に入れられました(笑)。サッカー部の練習とだっぴの会議がかぶっていなかったので、ちょうどいいやと思って入ったのがスタートでした。
でも、大学1年生の10月ぐらいにサッカーの練習でじん帯を切るケガをしてしまって、それから1年はリハビリしてサッカーは休んでました。

 

角田:だっぴのリーダーになった理由はありますか。

和泉:誰が良いかで決まった感じでした。自分からやりたいってことじゃなくて。
当時の代で誰が良いかってなった時、投票で全員一致の考えで決まりました。
肩書上はリーダーになっても、やることは変わらないから不安はありませんでした。

 

角田:鳥取だっぴの良いところを教えて下さい。

和泉:僕の代でいうと、自分たちで作ろうという気持ち、走りながらこれは違うよねって、お互い言いたいことは言う、チーム感や距離感が良かったです。
一人一人の当事者意識が高かったことや、やりながら失敗ができたところが良かったなあ。

 

進路に悩む
~教育実習でシビアな世界だと感じた~

角田:留学をされたそうですが、そこでどのようなことを経験されたのですか?

和泉:留学は3年生になる前の春、サッカーでのじん帯のケガも治っていた頃にアメリカのアーカンソー州に行きました。
当時は英語教師を目指していたので、留学は絶対した方がいい!と考え大学のプログラムで留学しました。留学に行く前にその国について調べたら、「白人差別+銃社会の街」だと聞いて、警戒して行ったんだけど、蓋を開けてみたらのどかなところでした。

ホームステイ先に銃が置いてあって、その家の人が狩りに行くぞ!と言ったので、僕は撃ってないけど、一緒に行かせてもらったりもしました。
いやあ、さすが銃社会だなあって(笑)。結構アバウトな地域でした。
現地の大学の語学学校には、けっこう色々な国から来た人達もいて、文化の違いを肌で感じました。

 

角田:進路で悩んだ理由を教えて下さい。

和泉:教員を悩んだ理由は、単純に留学に行ってもそんなに英語力が伸びなかったからと、教育実習でシビアな世界だと感じたこともあったからです。「教員はブラック」と言われていましたが、実習でそれを感じました。
僕のやりたいことは教育に関すること、まず、自分がやってきた「だっぴ」を中高生を対象にやってみることでした。

 

岡山へインターン
~自分がやっていただっぴを鳥取の中高生を対象にしてやってみたかった。それは岡山にインターンに行けばできると思いました~

角田:岡山にインターンに行った理由を教えて下さい。

和泉:自分がやっていただっぴを鳥取の中高生を対象にしてやってみたかったからです。
それは岡山にインターンに行けばできると思いました。
岡山では中高生向けのだっぴ活動をばんばんやっていたから、そのノウハウを学びたかった。そして、鳥取の中高生のだっぴをすることが目的でした。

「岡山だっぴ」はインターンの受け入れをしてないところだったのですが、自分でそこにお願いしに行って、インターンのチャンスを掴みました。
そして3年生が終わったタイミングで休学して、インターンに行きました。

 

角田:インターンをして変わったことは何ですか?

和泉:だっぴ活動のノウハウを学べたところは良かったな。
でも、良くも悪くも所詮は学生。インターンだから、社会人よりも責任が軽いし、社会人にならないと分からないこともあったと思います。
岡山ではだっぴ活動をばんばんしていたので、鳥取ではまだまだなんだなと肌で感じました。

だっぴ活動はあくまで教育に関わるため、中高生と関わるための手段の一つですが、この「岡山だっぴ」は、僕にとって帰りたい場所、好きな場所になりました。

 

これからやろうとしていること
~まずは「青谷高校だっぴ」! 何か鳥取に残していきたい~

角田:大学卒業後も鳥取に残りますか?

和泉:はい。卒業してすぐは鳥取にいようと考えているけど、ずっとはいないかな。4~5年したら岡山に帰ろうと思っています。
今はまだ、岡山で学んだことを鳥取に還元できていませんから。

 

角田:これからやりたいことを教えて下さい。

和泉:自分がだっぴで培ったことを鳥取で還元したいです。そして、鳥取全体がもっと繋がってほしいです。どういう形かはまだ分からないけど、何か鳥取に残していきたいです。

直近では、9月に「高校生だっぴ」を開催する予定です。これが鳥取での初めての「だっぴイベント」になります。そこに今一番力を注いでいます!
青谷高校の依頼で、一年生に向けてひらきます。
コーディネーターは僕で、鳥取環境大学の学生と一緒に計画します。企画は岡山でのインターンで形は分かるから、プログラムをこれから考えていきます。

「岡山だっぴ」は学校のキャリア教育の一環として、正式にだっぴ活動を行っています。
「pump+it!」は、大学生が大学生の為にやるんだけど、「岡山だっぴ」は基本的には中学生のために。

鳥取では中高生と大学生が関わるイベントが全く無いので、とりあえず青谷高校生だっぴからやりました!
その後はどうなるかまだ分からないです。

 

後輩へのメッセージ

角田:最後に、後輩へ一言お願いします!

和泉:大学生は、やろうと思えば何でもできる期間だと思います。自分の興味・関心を大切にして、何でもとにかくやってみることが大切かなと。実りある大学生活になることを応援しています!

 

角田:ちなみに、私のように講義ですぐ寝てしまう人は、今後どう学生生活を送ったら良いのか教えていただけないでしょうか・・・。

和泉:自分の興味ない授業が、将来の自分のやりたいことに直接繋がってなくても、巡り巡って繋がってなくもない。
興味ない、関係なくても自分の中でどれだけ意味づけをしたり、繋げられるかだと思います。
分からないことは自分から聞いてみてほしい。例えば、もし受けている授業が意味の無いように感じたら、教授にその気持ちをぶつけてみるのも良いと思います。

 

 

和泉さんありがとうございました! 

和泉さんは自分で考え、目的を持って学生生活を送られている方なのだなと思いました。和泉さんのようにこれがやりたいと言えるように自分の考えを具体化していきたいと思います。

そして、講義中に寝たりせず、この貴重な大学生活を、自分なりの思いを持って後悔の無いよう過ごしたいものです・・・。

インタビューさせていただきありがとうございました!これからも和泉さんを応援しています!

 

 

 

インタビュー・文責:角田 議事録:木下

*1:「地域で主体的に行動する大人」と「自分のあり方を模索している未来を担う若者」とがつながる場所を学生、社会人を対象に作り出す活動をしている認定NPO法人。 NPO法人だっぴ」より

「臆病にならず、様々なコミュニケーションを通じて切磋琢磨できる関係を築いてほしい」 鳥取県人権文化センター専任研究員 中尾和則さん

「臆病にならず、様々な人とコミュニケーションを通じて切磋琢磨できる関係を築いてほしい」
鳥取県人権文化センター専任研究員 中尾(なかお)和則(かずのり)さん

 

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中尾和則さん
【インタビュアーからの一言】
 世界80カ国を旅されて気づいたこと等、貴重なお話をして頂きました。
お話ししていて、個人の幸せだけでなく、社会全体の幸せについて考えている、とても視野の広い方だなと思いました。遠く離れた地域で困っている人たちに対して、何かできないかと常に考えて行動されている人です。

 

◦名前、職業、最近のこと
◦お仕事について
◦人権に関する職業に就いた理由
鳥取地球人クラブ
◦海外へ旅するようになった原点
UNICEFの活動
◦今後の目標
◦学生へのメッセージ

 

名前、職業&最近のこと

角田:今日はよろしくお願いします!
まず、お名前とご職業を教えて下さい。

中尾:中尾和則です。鳥取県人権文化センターの専任研究員をしています。
鳥取地球人クラブ」の代表も務めています。

 

角田:中尾さんは色々な国を旅されたのですね。

中尾:はい。若いころから旅、冒険が生きがいです!あちこち行って、トータルで80カ国行きましたね。楽しかった。

 

角田:昨日は何をされていましたか?

中尾:倉吉での講演会でお話をしていました!
オフの時は海を眺めながらボーとしたり、本を読んだりしています。本は何でも読むし、好奇心が強く、何にでも興味を持ってしまうので自制しないと何でもやっちゃう(笑)

 

角田:最近ウキウキすることとかがあれば教えて下さい。

中尾:10/13日にブータンのプリンセスが光澤寺に来られるイベントがあるので、それが嬉しいです!
今日もやり取りしていました。来られることが決定して嬉しい!

 

 

お仕事について

~難民キャンプや貧困地帯に行ったことで、平和や人権についていろいろ考え始めました~

角田:現在、鳥取県人権文化センターでどのようなお仕事をされているのですか?

中尾:主に講演と、小冊子作成による人権啓発活動をしています。差別や人権侵害にあたる行為、人権尊重や人権保障のことなどを分かりやすく示したパンフレット等を作成しています。


角田:専任研究員をされているのですね。どのような研究をされているのですか?

中尾:同和問題(部落差別の問題)や男女共同参画など、人権に関わる様々な個別テーマについて聞き取りなどを行って小冊子を作成したりしています。
去年は「超高齢社会の人権尊重」というテーマで聞き取り調査をして、小冊子を作りました。

 

石井:どういった方々にインタビューをされたのですか?

中尾:日本の超高齢社会についての研究をしていたので、鳥取県内の高齢者や施設の介護職員さん、また、高齢者施策等に関わる行政職員さん、市民後見人等に聞き取りを行いました。
日本は世界一の「超、超、超高齢社会」です。なかでも鳥取県は、65歳以上の高齢者の割合が31%の超高齢社会なんです。
「生きがいって何ですか?」等、自分の好きなことをがんがんやっている高齢者にインタビューをしました。


角田:鳥取県内で「学習会」を開かれているそうですが、「学習会」とは何をする会なのですか?

中尾:学習会っていうのは、学校、地域、会社、あちこちでやっている人権についての勉強会のことです。
地域や会社、学校や行政が主催しているので、その主催者に依頼されてお話をしに行きます。
大雑把に言うと、「人と人が尊重しあわなければいけませんよ」等の話をしています。セクハラ、パワハラ等も人権学習の対象領域です。これらの人権侵害が起こらないよう、また、啓発活動として年間80回くらいは講演をやっています。鳥取県内が多いです。

昨日は倉吉で講演をしてきました。タイトルは「世界80カ国を駆け巡って」。あちこち旅した中での経験に基づいた話をしてから、最後に人権の話につなげてビシっと締めました。

 

角田:なぜ、人権に興味を持たれたのですか?

中尾:人が生きるにあたってとても大切なものだと思うからです。
40歳頃まで正規職員として働いたことがなく、外国に出てばっかりでした。世界あちこち行ったり、農業したり。
その時、アフガニスタンの難民キャンプや、インドの貧困地帯に行ったことで、平和や人権についていろいろ考え始めました。
たまたまという流れでもあるけど、世界を見てきたことが今の仕事に繋がっています。


鳥取地球人クラブ

~戦争、難民の方々に対して何かできないか~

 

角田:何故「鳥取地球人クラブ」を設立されたのですか?

中尾:アフガニスタンの難民キャンプに暮らす難民を支援するために立ち上げました。
上海からローマまで15,000㎞、ユーラシア大陸を通り抜けたことがあって、その旅の途中で、アフガニスタンでの戦争や旱魃等によって発生した難民の存在を知り、その時から何かできないかと考えていました。

そのずっと後ですけれど、2001年の9月11日に、ニューヨークの高層ビル等を狙った「アメリカ同時多発テロ事件」が起きました。いわゆる「9,11*1 」という大規模なテロ事件です。この事件の後、アメリカがアフガニスタンを攻撃します。そこで、多くの難民が発生し、このことが、メディアで大きく取り上げられました。〝アフガニスタン難民〟というものに興味を持つ人が多くなりました。そこで、当時は「9.11の同時多発テロ事件」や「アフガニスタン難民」について、公民館の生涯学習講座や平和活動の集会等、様々なところで事件の状況解説や難民キャンプ等の現地の様子についての講演をして回りました。戦争それ自体を止めることや、難民に対して何かできないかと考えながら。ずっと以前、難民キャンプで知り合った人もいたので、彼らのことが心配になったからというのもあります。それと、社会問題や国際問題に関心があったから。
それが「鳥取地球人クラブ」を結成したきっかけです。今は、旅好きな人や社会・国際問題に関心がある人が集まっています。

 

海外へ旅するようになった原点

~現地の伝統的な生活にまみれて生活している人と話すことが好き~

 

角田:初めて行った国を教えて下さい。

中尾:タイです。
二十歳の大学生の時に、タイとミャンマーの両方にまたがって生活しているカレン族という少数民族がいます。「ミャンマーで暮らす少数民族が虐げられているので支援しに行かないか」と誘われたのが初めての外国に行ったきっかけです。

 

石井:では、観光とか留学をしに行ったのではなく?

中尾:はい。留学の為に海外に行こうとは、今でも思いません。あまり興味がありませんね。その国の文化・伝統にどっぷりとつかって、地に足を着けて生活をしている人達と話をする方が好きなんです。

いわゆる発展途上国から日本に来て、企業で仕事している人や留学生として大学で勉強している人等は、その国で言えば、お金持ちであったり、今風の生活をしている人であったりすることが多いように思います。僕はどちらかといったらそういう人達より、自国の文化歴史に根ざして、その国で地に足を着けて働きながら、伝統的な生活と向き合っている人と触れあうことの方が好きです。

アフガニスタンなど「危ない人たちばかりいるところ」と認識している人が多いと思いますが、そんなことはありません。
イスラム教は、「アッラーの神」のもとに皆平等なんだという理念があります。世界が近代社会へと変容する中で経済格差が生まれて、貧困家庭が増えていく、それに抵抗したイスラム神学生たちが過激化しているという部分はあるかもしません。

「差別」「偏見」っていうのは、よく分からない人たちに対してひとくくりにして、マイナスのレッテルを貼り、蔑み、拒絶すること、自分の生活と直接の関わりが無ければないほど、そういう「差別」や「偏見」をしてしまうこと。


角田:印象的な国はどこですか?

中尾:インドです。
インドに行くと、人に対しての関わり方が濃い!恥じらいが感じられず、いい意味で楽天的。
インドに行けば、「なんで俺はこんなに悩んでるの?」などと日本社会の中での悩みなど、取るに足らないことだと気づかされます。
日本は整然とし過ぎているところがある。「あれしなきゃ」「こうすべきだ」などのことも多い。「みんな同じことをしなければ・・・」などの強い同調圧力もあります。こんなことに縛られてもがくくらいなら、こんな感覚は取っ払うほうがいいと思いました。
周りを気にし過ぎていたら、世界では生きていけない。
インド人は周りが皆同じことを言うからと言って、同調して同じことを言わなければならないなど思いません。自分が思っていることを言う。人間そのままの素直さを教えてくれます。

日本で暮らす自分とは住む世界が違う人と会いたいです。これだけ色々な国があるのに、行かないのはもったいない。いろんな人がいて様々な文化や歴史があり、ステキな家族がある。たまたま自分が日本に生まれて、そこでの生活を当たり前だと思いこんでしまい埋没することには、少し危機感を感じます。

日本人だったらあり得ないと思うでしょうけど、世界中の人々が、日本人のように約束を律義に守るわけではない。インド人は時間にルーズです。インド人ばかりではありませんけどね、アフリカや中東等、多くの国の人々もね。
日本人は、あまりにも厳格に約束を守ろうとし過ぎてしまって、自分自身で首を絞めているところがあります。
世界標準からいえば、日本人は生真面目過ぎですね。日本国内ではそうあった方がいいことも多いですが、世界では「そこまで厳格にやらなくても・・・」など、生真面目であることが常識ではありません
例えば、日本には「過労死」という言葉があります。生きるために働いているのに、働き過ぎて死ぬってへんじゃないですか?
日本も変わりつつあります。不必要な規則、こうであらねばならないなどの脅迫観念に近いような暗黙の了解や同調圧力というのを無くそうとしていますけど。

初めて出会う人とのコミュニケーションの取り方が日本人は下手な方だと思います。
人との繋がりは財産になる。その為にも積極的になるべきです。向こうが嫌がったら、そこでやめればいい。

 

UNICEFの活動

~世界規模の活動に関わろうと思いました~

 

角田:鳥取県UNICEFの活動もされているのですね。どのようなことをされていらっしゃるのですか?

中尾:はい。鳥取県ユニセフ協会というのがあります。恵まれない子どもの支援をしていて、鳥取大学の学長が理事・会長をしています。僕はUNICEFの活動として外国に出たことはありませんが、募金活動やUNICEFの現地での活動の紹介等をしています。

7/25,29に「海外の子どもたちの貧困を考える」ワークショップをやります。日本の子どもたちの夏休みの自由研究として学んでもらいます。

角田:UNICEFの活動を始められた理由を教えて下さい。

中尾:貧困で学校にいけない、ジェンダー差別などの世の中の矛盾に対して、何かできることはないかと思い、世界規模の活動に関わろうと思いました。
社会問題や社会の矛盾に向き合いたいと思い、入りました。

僕は自分から動いて、面白そうならやる。面白くなかったらやめる、ということを心がけるようにしています。


今後の目標

~幸せ、自分の満足のいく人生を追求する~

 

角田:中尾さんの今後の目標を教えて下さい。

中尾:幸せって何かを追求することです。それに沿って生きていきたい。
自分の満足いく人生を追求する。
僕らは、人に流されがちになって苦しむことが多い。僕も前はそうでした。

若い人たちも、時々真剣に「幸せについて」仲間と話してみるのもいいと思います。

 

学生へのメッセージ

 

角田:若い人たちに対して、海外とはどんなものと伝えたいですか?

中尾:若者が海外に出ようと躍起になっていた時代のピークはもう過ぎてしまいました。青年海外協力隊等への応募も少しずつ減ってきています。
おそらく、テロなどが世界各地で多発することによって、「危ない」とか、「何しに行くの 日本にいればいいじゃん?」などの少し後ろ向きの気持ちの方が強く、好奇心や新しい世界へ飛び込む等の、野心的な思いを持つ若者が少なくなったのではないでしょうか。国際化と言いつつ、全体的に内向きになっているイメージがあります。

 

角田:それは良くないのですか?

中尾:個人が考えることなので、良くない、ということはありません。でも、社会全体で考えると、国際競争力や生きる力、コミュニケーション力等、全体的には弱くなっていくと思いますよ。
海外の若者には、もうばんばん自己主張をして、「俺はこう思う!お前はどうだ!?」などと思いをぶつけ合い、交流を深め、自己を高め、ともによりよい社会を目指そうとの思いや熱量の高い人は多いと感じます。日本の若者は自己主張できない、しない人が比較的多いのではないでしょうか。その背景には、控えめであることが奥ゆかしいなどの文化的側面もあるでしょうけど、特に国際化時代の今、自己主張をきちんとして、価値観や考え方の異なる他者と盛んにディスカッションして、多くのものを吸収できる若者が育ってほしいと思います。

石井:やはり、中尾さんにとっては若者にどんどん海外に出て行ってもらって、自己主張してほしいのですか?

中尾:それももちろんのこと、色々な考えを聞いて、自己主張する力をどんどん磨いてほしいと思います。臆病にならず、様々なコミュニケーションを通じて切磋琢磨できる関係を築いてほしいと思います。

大学というところは、自分から動かないと何も得られません。色んな人と触れ合うのが大事だと思います。

 

 

中尾さん、ありがとうございました!
海外のこれからのこと、ご自身のこれからのことを真剣に考えておられていてすごいと思いました。
私は海外に行くことはあまり考えていませんでしたが、海外はただ怖い所なのではなく、自分の自己表現力を高めてくれる場でもあるという事が今回のインタビューで分かり、行ってみたいと強く思いました。
自分にとっても、周りにとっても幸せになるにはどうすればいいのか。それを海外で見つけることも一つの手段ですね。
インタビューさせて頂きありがとうございました。これからも、中尾さんを応援しています!

 

 

メインインタビュアー:角田  サブインタビュアー、議事録:石井

*1:アメリカ同時多発テロ事件。2001年の9月11日にアメリカ合衆国で同時多発的に実行された、過激派テロ組織による4つのテロ攻撃。 Wikipediaより

「うまくしようとしなければ、何事もすぐできる」 ーカレー屋「せかいのまんなか」店主 浦林真大さん

 

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インタビュアーからの一言

気さくでお話ししやすく、とってもユニークな方です。
とにかく色んな経験をされています!
今まで聞いたことのないようなお話も多数…。
最初に書いてしまいますがここでは語りつくせません!(笑)
ぜひ「せかいのまんなか」へ!
                     インタビュアー:志水、木下

 

 

目次

・名前、職業

・大学でのこと

・海外での体験

・海外ってどんな感じ?←海外に行こうか迷っている方必見!

(海外に行くことに対して)

・挑戦への原動力

・今後の目標

・学生へ

 

 

 

 

名前、職業

 

志水:お名前とご職業を教えてください。

 

浦林:浦林真大です。

   鳥取駅前の風紋広場で、カレー屋「せかいのまんなか」を

   営業しています。

 

 

 

大学でのこと

~こんなことしてる場合じゃねぇ!~

 

 

志水:早速ですが、鳥取でカレー屋をやろうと思ったのはなぜですか?

 

浦林:どこでやりたい、住みたいとかは特になくて、

   どこでも良かったんです。ただ鳥取には負のイメージがあって、

   そのイメージを変えたい、どこでもいいけど

   どんなことでも楽しく生きたいと思って、鳥取でやることにしました。

 

 

志水:なぜ鳥取は「負」だったのですか?

 

浦林:これは大学での話になるんですが…

   僕、先生になろうと思って、大学では教育学部だったんです。

 

   特別先生になりたいわけじゃなかったけど、

   職業の中で一番イメージしやすいのが、先生でした。

   「負」だったのは、思考停止して生きてたからかな。

   楽しもうって感覚も、やりたいことも無かったんです。

 

 

志水:考え方が変わったきっかけはありましたか?

 

浦林:大学で考え方が変わりましたね。

   先生を目指す過程で、授業を考える機会があったんです。

 

   図工の授業をやったんですけど、図工をやる意味って、

   造形の技術をつけるとか…まぁいろいろあるじゃないですか。

   でもそれなんでいるん?って思って…

   授業を作る前に、まずこの授業は何のためにするんだろうというのを

   考えたんです。

   つきつめて、掘り下げていきました。

 

   最終的に、その子が楽しく生きていくためだ、

   っていうところにたどり着きました。

   それで、だから楽しく生きるために授業を作ろう、と思った時

 

  「あ俺、全然楽しいこと分かんねーやばい」ってなったんです。

   こんなことしてる場合じゃねぇって思ったんです。

   そこから考え方を変えました。

 

 

 

 

海外での体験

~騙されまくりの海外。だけど…~

 

 

志水:考え方が変わってから取り組まれたことはありますか?

 

浦林:20歳の時、インドに行きました。

   カレー屋をやろうと思ったのも、インドでの経験です。

 

   インドでは、とことん騙されましたね。

   ツアー会社に連れていかれて、無理矢理ツアーを組まされたり、

   お金をぼったくられたり。宿に戻って大泣きすることもありました。

   やられた…って。帰りたいけど、帰りのチケットは

   1か月先のをとっていたから、帰れなくて。

 

   インドでは、チャイを飲む習慣があるんですけど、

   そのまじで嫌だわって思ってた時に、

   ほったて小屋みたいなチャイ屋さんに行ったんです。

   そこで、ビジネスじゃなくて、

   ふらっとなインド人にいっぱい会いました。

   その人達に付いていっても騙されなくて。

 

   人間にはモードがありますよね。ビジネスモードとか。

   チャイ屋さんで、ビジネスモードじゃない、欲で動いてないときの

   モードでいるときの人と関われて、楽しいって感じました。

 

   騙され続きでだいぶん心がえぐられてて、その反動もあってか、

   こんないいやつが集まる空間ってめっちゃいいやんってなりました。

   それで、こんな店を作りたいなって思ったんです。

 

志水:海外に行く前の不安はなかったのですか?

 

浦林:あります。めっちゃ怖い。

   死ぬんじゃないかとか。もう全部が怖かった。

   だから、だから全部何も調べずに行ったんです。

   イメージもしなかったですね。

   インドってなんとなく陽気な人多そう、だから

   友達いっぱいできそう、ぐらいで。

   あとはもう考えないで行きました。

 

   ツアー会社に連れていかれるのも有名なんですよ。(笑)

   調べなかったからまんまと引っかかって…。

   もうほんとに最初の1週間は騙されまくりでした。

 

   でも、チャイ屋の人達に出会ってから、もう

   観光はどうでもよくなっちゃって…。

   出会って、誘われたら、誘われたとこに行くっていう。

   スケジュールも組まずに流されるままに…。

   ってやってたら楽しかったですね。

 

志水:海外に行って、観光ではなく、ラフな人達と関わりたいと思った

   きっかけは他にありますか?

 

浦林:僕大学生の時、お金が嫌いだったんですよ。

   何でお金もらうために働かなあかんの。働きたくねぇ

   お金もらうために働かんでも、生きれるべきだろっていう

   思想があって。なんでかは分からんけど。

   そういうのかな

 

 

 

海外ってどんな感じ?

~ハードルって何だろう~

 

志水:言葉の壁は感じましたか?

 

浦林:壁は感じたけど、全然いけると思いましたね。

   基本、中学英語くらいのレベルなんです。

   でも、そもそも英語が通じないエリアもあって…

   そこではもう日本語でしゃべります(笑)。

 

   ただ腹が減ったとか、最低限のことはジェスチャーでできるし、

   英語ができなくても苦労はそんなにしないと思う。

   けど英語は喋れた方が絶対面白いし、プラスαで楽しいと思う。

   英語できないと難しいことは言えないから…。

   それに、海外に一度行って、必要性を感じたら勉強すると思う。

 

志水:確かにそうですね(笑)。

   ちなみに浦林さんは海外に行かれた後、英語を勉強しましたか?

 

浦林:しなかったですね(笑)

   僕は通じない旅のスタイルも好きなんです。

 

・・・

 

木下:海外に対して、ハードルが高いと感じている人って多いと思うのですが

   浦林さんはそういったハードルについて感じることはありますか?

 

浦林:…そういう人って何が障害なんですかね。

   死ぬかもしれない確率はあがるかもだけど、そんなに死ぬことはない。

   まぁほんとに死ぬかもしれないけど、思ってるより死なないんですよ。

  

   あとはハードルって何だろう…。

   例えばこういう旅をしなきゃって

   理想形があるっていうのがハードル高いと思うのかな

 

   「オリジナルで自分がやってみたいことやる旅行しよう」

   とりあえずこれを海外ですればいい話じゃないですか。

   それをできるできないもくそもなくて、ただ行けばいいだけ。

 

   死ぬかもしれないけど思ってるより死なない

   っていうのをこころにおいて、後はただ行けばいいかなって

   嫌だったら帰ればいい。

   うまくやろうとしようとしなければ何事もすぐできると思う。

 

 

 

 

挑戦への原動力

~旅を自分で作ってる感覚~

 

志水:色んなことに挑戦されていると感じたのですが、

   その原動力は何ですか?

 

浦林:これやったら面白い、というのかな。

   旅の時もそうなんだけど、これを自分で作ってるっていう

   感覚があると楽しいんだよね。この旅はオリジナルだって思えたら、

   それは誰やったことのないもので、めっちゃ興奮する。

 

   道端で書道したり、段ボールにギター書いてそれ弾いて投げ銭

   もらったり。(←実際の体験談です!)

   これやったらおもしろいんじゃないかっていう企画を立てて。

 

   誰かを喜ばせるためではなく、

   自分のためにやって、そのあとに興奮を得れるか

   を繰り返して旅してました。

   今もその感覚で生きてるかな。

 

 

 

 

今後の目標

 

志水:今後の目標を教えてください。

 

浦林:やりたいことはいっっぱいありますね。

  

   今、テントでカレー屋をやっているんですが、

   お金を貯めて店を作りたいです。

   店を開くために、「100万円貯めれるかチャレンジ」をしています。(笑)

 

   店を開いたら、4か月営業して、1か月休む。

   というサイクルで、店を休んでる間に、鳥取で出来ないチャレンジ

   をやるつもりです。

 

志水:どうしてそんなサイクルなのですか?

 

浦林:そうですね…。

 

   一時、ほんとに店やりたいかなって悩む時期があって…。

   鬱っぽくなりました。

 

   店をもつと旅ができなくなる、というのを自分の中で思ってて。

   それが大きかったです。

   旅したいのに、店もったら一生旅できない。俺旅できないのか…って。

   そんなのを抱えつつ店を開こうとしてました。

 

   それで2か月くらい悩んで。

   でも、ある時、「両方やれるようにすればいいじゃん」

   「なんで旅できないって思ったんかな。出来るようにすれば

    いいじゃん。」

   って思って。

   このサイクルを思いつきました。

 

   最初はモンゴルに行きたいです。

   遊牧民を当てずっぽうで探しに行くんです。

   歩いてて、あ!いた!っていうのをしたい(笑)

 

 

学生へ

 

志水:最後に、学生に一言お願いします!

 

浦林:僕もあんまり学生と変わらない気持ちでいるからね…(笑)

   学生にっていうのはないけど、

   まあ、やりたいことを全部やる気持ちでいきましょう

   っていうのですね。

 

   自分ができたと思えばそれでいいので

   それだったらなんかできそうな気がしませんか?

 

   僕もそう思ってやっていこうと思います。

 

 

 

 

 

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楽しい笑い声の絶えない時間でした。浦林さん、ありがとうございました!





 

 

 

  

 

 

メインインタビュアー・文責:志水

サブインタビュアー:木下

 
   

 

「常に遊び心を忘れず、何でも自分たちでやることで何か学びがある。」

認定NPO法人ハーモニィカレッジ スタッフ

阪本宜之さん

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ハーモニィカレッジ内の馬房前で 右:阪本宜之さん、左:ユウキさん

 

 


【インタビュアーからの一言】
お話し中、常に和やかな雰囲気を醸し出している方でした。
普段されていることを聞いたとき、仕事ってそんな感じでやって良いのか!と思うほど、馬と楽しく仕事をされている方です。

 

 

 

◦名前、職業
◦ハーモニィカレッジ、馬との出会い
◦「うまっこ」での活動
◦現在の職業について
◦馬の良いところ
◦何でも自分たちでやる時
◦大切にしていること
◦学生へ

 

 

 

名前、職業

角田:お名前とご職業を教えて下さい。

 

阪本:阪本宜之です。
職業は、ハーモニィカレッジで馬の世話、調教などをしています。背が高いことから、ハーモニィカレッジでのニックネームは「タイタン(巨人)」です。

 

 

 

角田:獣医を目指されていたのですね。

 

阪本:はい。祖父母に勧められたのがきっかけです。
高校まで、獣医になるために勉強をしてきましたが、模試D判定で獣医になるのを諦めました。浪人はしたくなかった。

 

両親が共働きだったので、学校が終わったらおばあちゃん家に行く生活をしていました。 
おじいちゃんが、女の子泣かしたらいかんっていう「The 男」っていう感じの人で、常に上から目線。野球部だった僕に対して、自分はできないのに「ええ球投げるやん。まあ、俺の方がもっとええ球投げれるけどな。」と言っていました。おじいちゃんっこでした。

 

その祖父母の家には「ごる」と「さち」(犬)がいました。
獣医になろうと思ったのは、犬好きな僕におばあちゃんが「あんたは優しいから医者か獣医になったほうがいい」と言うので、ああじゃあそうしようと思ったからです。

 

 

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笑顔でインタビューに応じていただき、おかげで緊張がほぐれました

 

 

 

ハーモニィカレッジ、馬との出会い

~馬ってそんな感じで扱ってええの?!~

角田:現在の職業に就いたきっかけは何ですか?

 

阪本:「うまっこ」を知ったことです。
鳥取大学に入学した当初、「落語研究会」に入っていました。僕はテンションが高い人たちが好きなので入ってみたら、まあまあ活動が忙しい。
ちょっとこれは大変、もう少し自分のペースでいけるところないかなと思っていたところ、「うまっこ」というサークルのチラシをもらい、落研を辞めて、「うまっこ」に入りました。

 

 

 

角田:そこで馬と出会ったのですね。

阪本:はい。この牧場で初めて馬と出会いました。
馬って敷居高そうじゃないですか。普通、乗れない。でも、ここに来たらそんな感じじゃない。

 

当時、職員は若くて、ドレッドヘアー、趣味はサーフィンのお兄さん達でした。ふざけあってるし、ポップなノリでした。

誰かのお祝いを牧場でやってくれた時、職員の一人が上半身裸、顔面白塗りでゲンキ(馬)に乗って登場。
馬ってそんな感じに扱ってええの?!と衝撃を受けました(笑)

 

一般的な「乗馬クラブ(静かにしろとか言われるところ)」とは違う、馬との出会い方をさせてもらいました。
ここでは馬の近くで子供が凧揚げとかしてるので、何じゃここと思いました。
でも居心地が良かったです。

 

 

 

角田:周囲が騒がしくても、馬は気にしないのですか?

 

阪本:ちっちゃい時からそういう環境なので、動じない子が多いです。

 

 

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インタビュー終了後、乗馬体験をさせて下さいました!

 

 

 

「うまっこ」との出会い

~ここおったら学べることあるんちゃうかな~

角田:阪本さんはなぜ「うまっこ」に入ったのですか?

 

阪本:「うまっこ」のボランティア募集のチラシを見て楽しそうだったからです。
子供と鬼ごっこしたいなと思ったんです(笑)
その「うまっこ」の活動場所が、ハーモニィカレッジでした。

 

子供たちと同じ目線で遊んで、尻尾とり、鬼ごっこデイキャンプ等をしました。その後の振り返りの内容がとても真剣だったんですよ。

「あの子浮いてたな」
「もっと楽しくできたんちゃうか」
「こどもに口出し過ぎた」

ただ遊ぶだけじゃなかった。現場では楽しいけど、学びも多い。
面白いだけじゃない。「ここおったら学べることあるんちゃうかな」と思い、4年間駆け抜けました!

 

 

 

角田:4年間所属されたのですね。

 

阪本:はい。でも、大学は1回休学していました。
入学した時は、研究者になりたいと思っていたんですけど、大学で研究をしていたら、これじゃない、でも何したらいいか分からん!てなって、家にこもっていた時期がありました。

家の人やこのハーモニィカレッジの人の力を借りて、「大学は卒業しよう。学びは置いて社会に出よう。」ということにしました。

 

そして、社会人、面白い大人と沢山会う。これに時間を当てようと思いました。
会いたい人に会いに行く。何をしたいかを持つ。
色んなところに行ってこよう!という大学生活でした。

講義って3回までなら休めるので、その3回をフルに使いました(笑)でもちゃんと単位は取る。
3回フルに休むのはおすすめしません。

 

 

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とても丁寧に乗馬指導して下さいました

 

 

 

現在の職業に就いて

~何事も学びながらやっていこう!~

角田:阪本さんは、馬が好きだから現在の職業に就いたのですか?

 

阪本:子供と関わるのが楽しいと、最初思いました。
馬もいるけど、ここは教育機関みたいなところ。色んな人の居場所やと思っています。 

 

昔はスタッフ3人で、前代表の石井博史(ひろ)さんが立ち上げました。
現在は、職員2名とスタッフ2名。幼稚園もやっているのですが、そこには5名のスタッフがいます!

 

 

 

角田:お仕事では調教もされるのですね。

 

阪本:はい。うちでは何でもやるのがコンセプトですから。それこそに学びがあるから、大事にしています。
そして何でも手作りします。
この牧場も自分たちで。不法投棄されたごみの処理、荒れ地の工事、牧場も馬房も全て手作りです。
こうしろとか言われないので、何でもやってええんや!と思いました。

 

調教も学びながらやっていこう!という感じでやってます。何事も学びながらやっていくものですから。
世の中って全部、誰かの作られてきたもんでできてるって実感します。

 

型とか法律とかあるけど、自分でも作れるんやなっていうのを学ばせてもらってます。ロケットももしかしたら飛ばせるんちゃうか(笑)

そういう時は、誰かと力を合わせてやっていけばええと思います。

 

 

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インタビュー場所にして頂いたこの事務室も全て手作りとお聞きした時は信じられませんでした

 

 

 

角田:幅広い年代の人がここを居場所だと思えるのは何故でしょう?

 

阪本:「ありのままでいいんだよ。そのままでいいんだよ。」が先代の口癖で、ありのままを受け入れる考えが職員、学生の間に根付いていていました。なので、敷居を全く感じませんでした。

始め、馬が敷居高いなんて全く思いませんでした。
大学の先輩に教えてもらった時、
「手綱持ったら100円な」「無理です!」「はい、持った100円」。
遊んでる感覚でゲーム性を持って楽しく乗っていました。

 

ここの人たちは人の良い部分を見ようとしている。どうすればそれを引き出せるかを常に考えている。自分もここに入ったらそうなれるんちゃうかなと思って入りました。

 

 

 

角田:そうだったのですか。どうでしょう。なれたと思いますか?

 

阪本:いや、まだ全然!それがここの人生グラフ*1が下がってるところなんですよ。

 

 

 

角田:なぜ現在、人生グラフが下がっているのですか?

 

阪本:今まで自分のやりたいようにやってたから。このままじゃいかん、自分を変えていかないと、と思っているからです。
今の理想と現実のギャップが大きいです。

でも今は助走期間。地味な努力が必要な時間。自分と向き合う時期だと思っています。

 

ドラゴンボールでゆったら、「精神と時の部屋」に入ってうーっと言っている状態です。体力はあるけど、精神力が回復しない。

自分の目に見えない部分をどう良くしていくかですね。
そこを今までは鍛えてませんでした。 

 

 

 

角田:現在、迷うことが多いですか?

 

阪本:俺は今、子供たちに何を伝えたくてここにおるんかを今まで明確に持っていませんでした。
何となくならあったけど、ほんまにこれかなあ?
ここを見つけないと、何しゃべっても子供に響かへん。俺のおなかの底から上がってきたこと、ほんまに伝えたいことを言わないと。

でも、誰も答え言ってくれへんし、他の人の意見聞いても、自分が一番納得せえへんと思うんよね(笑)
必死に探してる最中です!

 

最近、一番印象的だったのが、夏休みの2泊3日のキャンプ。カップキャンドルを持って、将来の夢を語るプログラムがありました。
そこである子が、「誰かにかっこ悪いといわれても、自分がかっこいいと思える人になりたい。」と言ったんです。
それを聞いたとき、ほんますごいと思いました。誰に言われた訳でなく、自分で気づいたらしい。
こうやって、何かが見えてくれると嬉しい。

こどもは、盛り上がってる、おちゃらけてる空間が好きだけど、こっち(楽しいだけじゃない真剣な場)も好きなんや・・・俺も好きやと思いました。

 

子供たちの心のよりどころにしていこうと思います。
僕と関わることで学びになってほしい。子供達にいい子に育ってほしい。・・・でも教育は多分技術じゃなくて、人格なんですよ!

 

 

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阪本さんの目指してらっしゃる姿をお話しして下さいました

 

 

 

馬の良いところ

~読みたくなる、開きたくなる教科書~

角田:馬の良いところは何ですか?

 

阪本:生きてて、一頭一頭に感情があるところです。
例えば、野球のバットは思い通りになるやん?どう雑に扱ってもなんも言わんし、それなりに成果出る。
でも、俺らの相棒(馬)は感情がある。 
今日のご機嫌いかがですか? ほーそんな感じなんや。
常に馬に合わせ、譲るところは譲らなくてはいけない。 
それによって次の日のパフォーマンスが変わるんです。自分のやりたいようにやっていると、馬にいつか牙を剥かれる。馬に合わしていかないと、良い動きができないんです。
自分が馬によっていくべきだと思います。

 

9年関わってきて、自然にこの考えに至りました。
最初は鞭で叩いたりしたけど、上手くいきませんでした。うまい人だとめっちゃ良い動きをするのに。

 

違いは何なのか、色んな人、馬に教えてもらいました。
人から、「馬は生きていくうえで大切なことが書かれた教科書」と言われたことがあります。

 

読みたくなる、開きたくなる教科書。

馬の良いところはそこかな。

 

 

 

角田:馬のことが分かってきたなと思ったのはいつですか?

 

阪本:いや、今でもマジで分からへん。
野球、サーフィン、スキー、自転車・・・色んなスポーツをやってきたんですが、
一番奥が深いと思ったのは、馬です。だから、まだまだ底が知れない。

どの馬関連の人に聞いても分からんって言うと思います。
特に新馬調教になると、上手いこと行かんし、分からへん。
犬とか分かりやすいのに。
水飲みたいんかな?と思ってバケツを持っていくと鼻でボン!違ったわ・・・ってなります。

 

 

 

角田:そうなのですか。意外ですね。

 

阪本:乗馬指導の時は「分かっている風」に装っています。
嫌そうだなーとか、緊張してるなとか、ちょっと分かってきたから。
自信もってはっきり言わんと、お客さんも不安になります。

自分の言うことに責任と自信を持つようにしています。
少し迷っていたとしても、「今はこうです」と言い切る!

 

 

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インタビュアー全員が馬(ユウキ君)に乗らせていただきました

 

 

 

何でも自分たちでやる時

~どんなことも遊び心を忘れず~

角田:お2人は他に聞きたいことはありませんか?

 

志水:私は聞きたいことが沢山あるので、始めは稲葉さん、お願いします。

 

稲葉:では私から。
何でも自分たちでやる時に苦労したことはありますか?

 

阪本:どんなことにおいても、どちらの側面を取るかで変わってきます。

 

夜中、雨の中泥水をかきあげる。字面だけ聞くとしんどそうですが、違う。その時、俺たちは目を輝かせていた。おっしゃやったるぞ!と。そこを仕切っていたのが遊び心を忘れないシュートさんでした。

俺ら良いことやってるなー!と思うと燃えてくるやん?

常に良い方をシュートさんは教えてくれていました。ただ楽しかったよりも、むしろそういうことの方が記憶に残っています。

 

サマーキャンプのために未舗装の道を、「一般家庭用のでっかい冷蔵庫」を皆で抱えて持って行ったこともありました。真夏、ばりくそ暑かったことは今でも覚えてます。

遊び心をずっと忘れないことで、名前のない遊びになります。

「手作りするのしんどい」より、「今後多くの人が使ってくれるものだ」と思うと、ええなと思います。

 

 

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広い馬場での解放感と馬の暖かさは忘れられません

 

 

 

大切にしていること

~何事にも愛を持って~

志水:阪本さんの日々、大切にしていることは何ですか?

 

阪本:良い質問ですね。
できているかは分かりませんが、何事にも愛を持ってやりたいです。
愛は難しいけど、仕事の裏に人がイメージできているか。

例えばチラシ。受け取った人が見やすいな楽しいなと思ってくれるか。
掃除だったら、誰かがピカピカにしてくれてるんやろな。
そう思うようにしています。

 

 

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学生へ

志水:最後の質問になります。学生へ一言お願いします!

 

阪本:これなら昼夜を問わず、一生やりたい!っていうものに早く出会ってほしいです。それを見つける努力をしてほしい。僕もその最中なので、一緒にやっていきましょう!

 

 

 

角田:阪本さん、ありがとうございました!阪本さんはこども達のことをとても大切に考えながらお仕事をされています。大学生時代の悩んでいた時期を乗り越えたエピソードも、とても勉強になりました。

私は今回インタビューさせていただいて、阪本さんのどんな時も遊び心を忘れないところは今後特に心がけたいと思いました。しかし、「精神と時の部屋」に入るような、厳しい時が社会に出ると必ずあることも知りました。この先やりたいことを具体化できるよう、この大学生活で自分を鍛えていこうと思います。

今回インタビューさせていただき、本当にありがとうございました。これからも阪本さんと、ハーモニィカレッジの方々を応援しています!

 

 

 

 

 

メインインタビュアー・文責:角田

サブインタビュアー:志水、稲葉

*1:今までの人生の出来事、その時の感情を折れ線グラフにして書いていただく事で、今までの人生で楽しかったこと、辛かったこと等を大まかに把握することができるグラフ

「海外に行くいいところは、 いろんな考えを持った人と友達になれる」 -小倉典子さん

「目次

 

[お名前]

[インタビュアーからの一言]

[アメフトを始めたきっかけ]

[鳥取について]

[海外と日本]

[日本から海外へ]

 

 

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小倉典子さん(写真左 旦那さん、お子さんと)

 

[お名前]
 小倉典子さん

 

 

[インタビュアーからの一言]


  海外での価値観・考え方の違いを、アメリカでの経験から

 お話しいただきました。

 「他人と違うことはじゃない、それも個性

 という言葉に勇気をもらいました。

 


[アメフトを始めたきっかけ]

 

 Q. アメフトを始めた理由を教えてください

 

 A  スーパーボウルっていうアメリカで一番大きいアメフトの試合があるんです

   けど、デイビスっていう選手がすごいいいプレイしていて、それを見て元気

   をもらった感じです。私も病気でちょっと大変だったので、病気とかで

   苦しんでる人にプレイを見てもらって元気になってもらえたらいいなと

   思って。一回大きいけがをしちゃって、手術しないと選手継続が難しいと

   いうふうになって一回アメフト辞めようかなと思って辞めたんです。小学校

   の子供たちに、頑張ったら夢は叶うって先生だったらみんな言うんですけど、

   (必ずは)無理じゃないですか。自分はほんとにやりたい夢があったけど途中

   であきらめちゃったので、言ってる言葉に対して責任というか、心から

   言ってるんじゃなくて適当に言ってるみたいな気が自分の中でしたので、

   

      本当に頑張ったら夢は叶うっていうのを

          子供たち見せてあげられたらいいなと思って

 

   手術してもう一回夢を追いかけてみようかなと。アメリカ半年日本半年

   っていう感じで生活してたので、日本にいるときは学校で授業したりとか

   して、アメリカでアメフトのシーズンの時はアメリカで選手してっていう

   感じです。

 


[鳥取について]

 

 Q. 鳥取へ戻ってからの生活について教えてください

 

 A  鳥取に帰ってきてから3年半くらいですかね。夫が日本で田舎暮らしを

   してみたいっていうことで、ちょうどタイミングよく若桜町の地域おこし

   協力隊で農業する人の募集があって、それに応募して、2年間は若桜

   住んでました。農家さんに研修みたいな感じで行かせてもらったんですけど、

   夫が研修先とうまくいかなかったり、あとイネ科のアレルギーが出ちゃって。

   研修は途中でやめさせてもらって、そのあとは若桜の特産品になるような

   野菜の試験栽培してみたりとか、品種改良を自分たちでやったり、あとは

   中学生とか小学生に英語教えたりしてました。夫は自分が希望した田舎

   暮らしだったので満足してたんですけど、私は夫の希望で選手を引退

   しないといけなくなったっていうのがあって、そういうのを抱えながら若桜

   で仕事してたので、なんか精神的に気持ちが……。仲のいい友達もいないし、

   トレーニング環境とかも前の環境と全然違うので、個人的に馴れないって

   いうところもあって。でも若桜の年配の人は結構仲良くしてくださって、 

   料理とかも教えてもらって、そういうのは楽しかったです。

 

 

 Q. 慣れない環境で暮らすためのモチベーションになったものはありますか?

 

 A.  せっかく引っ越してきたので、若桜の特産品になるものが開発できたら

   いいなと思って、グループでやってたんですけどそういうのは

   モチベーションになりました。

 


 Q. 鳥取で働くことについてどう考えていますか?

 

 A.  琴浦町が地元なんですけど、鳥取県で働くのは環境的には自分には

   合ってると思う。都会みたいに通勤ラッシュとかないし、時間に追われる

   こともないんですけど、もうちょっとスポーツをする環境が良かったら

   いいなと思ったりします。今夫が英会話教室をしてるんですけど、私も

   一緒に参加してて、アメリカにいて英語の勉強にもなったのでそこは語学

   の面で活かせてるなと思います。

 


[海外と日本]

 

 Q. 鳥取で暮らす中で役に立ったアメリカでの経験はありますか?

 

 A. 小学校の講師の頃に特別支援もさせてもらってたんですけど、私が

   生まれつき高機能自閉症で、日本にいるときは困りながら生活してたん

   です。アメリカに行くと日本よりも支援がすごい進んでるので、安心して

   生活したりスポーツができたりする。自分が実際に支援してもらって、

   日本に帰ってきて子供に対して支援っていうところでも還元できたかなと

   思うところはあります。スポーツの面で言うとそう(支援が充実してない)

   かなと思った。日本だと保護者にいてもらわないといけないっていうのが

   あったりしますけど、アメリカはコーチが教育をちゃんと受けているので、

   うまく子供に合わせて指導してくれます。普通の人たちも知識があって

   上手に接してくれるっていうのはすごい感じました。日本は

   障がい表に出さんほうがいいみたいなのがあって。持ってる人

   出さないし、周りの人も関わろうとしなかったり、勉強しようと

   しなかったりするんですけど、アメリカはそうじゃないので、勉強になり

   ました。自分が障がいを持ってるって言ったら

   「この子に対してこういうふうに接したらこの子も安心してスポーツできる」

   っていうのがみんなわかってる感じです。「」っていうふうには捉われ

   なくて、障がいも個性みたいな感じで、悪いものとしては捉えられない感じ

   ですかね。生活面ではすごい楽です。

 


 Q. どうすれば「違い」に寛容になれるのでしょう?

 

 A.  日本って島国なので、同じ人種、同じ日本人しかいなくて、みんな同じ

   ようにしないといけないみたいな感じがある。できなかったら弾かれるし、

   弾かれないように一生懸命頑張らなくちゃいけないっていう感じで苦しく

   なっちゃうけど、海外だといろんな民族の人が暮らしているので、もともと

   私たち(日本人)と違うっていうのがあるんじゃないかっていう感じがします。

   日本はADHDの人が増えてきてるって言われていて、そういう人たちって

   もともといたと思うんですけど、日本の中で圧迫されて、頑張ってみんなと

   同じにしようと思って表に出さないように生活してたりしてたんじゃない

   かな。国的にも力を入れてるとか、人権について学んでいく機会の違いも

   あるのかもしれないです。親とかも、日本だと(子どもの障がいを)隠そうと

   するじゃないですか。自分の子どもが差別されたらかわいそうって思ったり

   して、子どものためを思って隠したり、病院に行かせたくないって言う親も

   いるんですけど、アメリカは落ち着いて勉強をさせてあげたいとか、

   友だちとうまく遊べるようにさせてあげたいって思ってカウンセリングを

   受けたり、子供が落ち着いて暮らせるようにしていました。

 


[日本から海外へ]

 

 Q. 海外で活躍するために学生の間にやっておくことはありますか?

 

 A.  高校の時にオレゴン州に短期留学したことがあるんですけど、それが

   あったからアメリカでアメフト選手になろうと思った時もあんまり恐怖感

   がなかった。一回行ってアメリカがどんな感じか分かってたので、海外で

   仕事しようって思ったら学生の時に短期でも行ってみると雰囲気が分かって、

   急に仕事ってなったときよりも精神的に楽かな。

 


 Q
. 海外へ行くメリットを教えてください

 

 A  海外に行くいいところは、いろんな人種の人と、いろんな考えを持った人

   と友達になれる。日本だと偏りがちですけど、いろんな考えを持った人と

   友達になれるっていうのがいいところ。自分の考えも豊かになるし、

   友だちの絆ってお金で買えないものなので、大事だなと思う。あとは自分が

   実際にアメリカに行ってみて、鳥取県の良さが再認識できた。自分はいい所

   に住んでるなーと地元の良さが分かりました。鳥取県って自然があるし、海

   も山もあるし、魚も美味しいし。

 

 

 Q. 海外へ行くハードルは高いですか?

 

 A. 1人で行くと大変かもしれないけど、県、町の企画とか一緒に行こうって

   いうツアーがあったら、ツアーで行ってみるっていうのもありかな。私が

   行ったのは町の国際交流で4人で行って、困ったら協力できたので、一人で

   行くのがハードル高いなって思ってるんだったら短期留学のツアー

   みたいなのがあったらそれで一緒に行ったりとかするとハードルは低く

   なるかな。あとはホームステイかなんかで一緒にできるんだったら

   そういうのも楽しいかなって思うし。1人よりは他の人と一緒に行った方が

   何かがあったときに心強い。

 


[
学生への想い]

 

 Q. 学生に対して思っていることはありますか?

 

 A.  困っていることとかがあったら言葉に出してどんどん発信していったら

   いろんな人が助けてくれやすい時代になっているんじゃないかと思うので、

   どんどん思いを発信していってもらいたいと思います。そうしたら

   気づかなかった人も気づきになるし、言ってくれたことで気づけること

   とかあるので、若い人たちの意見もどんどん知れたらいいかなと思います。

 


 Q
. 学生へメッセージをお願いします

 

 A. 学生の時って働きだしたら忙しくなっちゃうので、勉強も頑張りつついろんな

   ところに出かけてみて遊んだりとか、いろんな友達を作って、今しか

   できないことをやってもらいたいなと思います。自分が本当に何が好き

   なのかをわかる時間であるかもしれない。私は最初大学で物理を専攻してて

   途中から体育に変わったんですけど、大学に行ってみてやっぱり勉強したい

   ことこれじゃないって思ったら違う方面に変わるのも全然ありだと思う。

   嫌なことを勉強し続けるよりかは自分が好きになったり、こっちの方が

   よさそうって思ったら思い切って変わってみるのもいいかなって思います。

 

 

文責:木下

 

 

 

 

 

「やりたいことは自分の中にある。」 鳥取大学地域学部 稲葉千華さん

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・[インタビュアーからのひとこと]
・[所属 名前]
・[鳥取大学に入ろうと思ったきっかけ]
・[大切にしていること]
・[うまくいかないとき]
・[やればよかったこと]
・[目標]
・[学生へのメッセージ]

 

 


[インタビュアーからのひとこと]


物腰が柔らかく、落ち着いた方で、とても話しやすかったです。
常に物事を冷静にとらえ、問題に向き合う姿勢は、

尊敬せずにはいられませんでした。

 

 

[所属 名前]

 

Q. 所属と名前を教えてください。

 

A. 鳥取大学地域学部
 稲葉 千華 さん

 

 


鳥取大学に入ろうと思ったきっかけ]

 

Q. なぜ鳥取大学を選んだのですか?

 

A. 隠さずに言うと、センター試験の結果で選びました。

 

元々やりたいこともなく、 「とりあえず公務員」 と思って、
名前からして公務員っぽい、鳥大の地域学部に入ることにしたというのが本音のところです。
予備校の先生にも、 「うかるで」 と言われ、ろくに調べずに入りました。

 

でも、実際地域学部に入って、よかったなと思います。
フィールドワークが多くて、座学だけじゃないものを得れたから。

 

高校までは、頭でっかちな理論や公式を学んでたけど、
その勉強が何になっとるんか分かってなかったんだよね。

「サインコサイン 使わんくね」とか思ってたな(笑)


大学でも座学はあるけど、フィールドワークがあることで、座学とコネクトができて、
「こういう話って座学でやったこのことなんだ、ここで役立つんだ!」
って思えたのは大きいなと思います。

 

それに、大学では保育園の待機児童とか耕作放棄地とか、
地方地域都会を含めて、今の日本のホットな話題を扱ってるんだけど、
外に出た時、バイト先の社員さんとかおじいちゃんおばあちゃんと話す時、
話題にこと欠かないし、世代で考えてること全然違うんだっていうのを体感できるんです。

 

等身大の自分として社会問題をとらえられるようになりました。


[大切にしていること]

 

A. 大切にしている考え方はありますか?

 

Q. 「誘われたら断らない」
 「ふっかる」 
 「忙しさをにじみださない」 こと

 

大学の最初は、とにかく動こう思って、
誘われたらどこにでもいくようにしていました。

 

忙しいと思われていると、みんな誘ってくれないけど、
余裕を醸し出していたらみんな誘ってくれるんです。

 

A. 今の考え方になった転機はありますか?

 

Q. 一番のきっかけは浪人したこと。
 
もともと、損得勘定の強い性格で、
自分に得か損かっていうのを考えて、
自分が得することはやろう、損しそうなら切り捨てて…             という生活を送ってました。
  
今思うと、チャンスを無駄にしたなって思います。 
   
浪人時代って、結果がすべてなんだよね。
勉強して、「こんなにやったんですよ」って私の努力をみせるけど、
模試の結果を見せると、「でもこれじゃあね」と受け取られる。

 

もがいてたなぁ。
めっちゃ頑張って、これだけの結果しかでんのかって、
自分損しとるって思った。
でも頑張らんと受からんし。
そしたらなんか、損得勘定がよく分からなくなって…

 


あともう一つ、自分には 「何かしたい、好き」 って思うもの、
夢中になれるものが特になかったんだけど、浪人仲間の友達に、そういうのを
すごく持ってる友達がいたんだよね。
「自分はこの大学で、こんな勉強をするんだ。

 1年ではこれして、2年ではこうして、

 卒論はこんなことするんだ」って、4年間の過ごし方を全部決めてた。

 

「すっげ!」って思ったよ。 (笑)
で、その子と比べた時、自分なにもねぇな、大学行けりゃあええわ
っていう精神でいたなと思って、自分が恥ずかしくなった。
損得勘定で自分をかこつけてる場合じゃねぇなと思って。

 

その友達に感化されて、友達みたいには計画立てれないけど、
大学では損得勘定なしにしようって決めたんです。


大学では、何が得とか分からんことが多いんよね。
例えば飲み会で、「あの人と飲んで失敗したわー」ってその瞬間は思っても、
でもいつか、「良かったな」って思える時が来るかなって期待して、
そう思える自分に期待して、やろう
大学ではそういう風にやろうと決めました。

 

 


[うまくいかないとき]

 

A. うまくいかないときはありましたか?

 

Q. 2つありました。

 

1つは、大学2年のときの地域調査実習。
1年間フィールドワークして、調査して、報告書にまとめるっていうものを
3人でやったんだけど、考え方が三者三様すぎて、まとまらない!
担当の先生にアドバイスもらうけど、3人で理解が違うんよね。

 

次これしよう、これしたいって意見を出すけど、
「先生そんなこと言っとった!?」 ってなったり。
方向性が違うから、とんちんかんな方に進んだり…

 

1人だったらさくさくいくんだろうけど、3人集まらないと報告書はできない。
3人だから、報告書にそれぞれの色が出て、先生もそれがいいって言うし…。

 

チームでやるって難しいなって思ったよ。

 

 


A. どういう考え方で乗り越えましたか?

 

Q. 妥協もあったし、自分を主張しすぎないようにしました。

 

でも自分の色をだしたいところはあるから、

それぞれの色を出すところを決めて、
そうでもないところは、「○○ちゃんのアイディアが活きそう」
「このアイディアよりそっちの方が良くない?

 そしたらここめっちゃ膨らむよね」

みたいな感じで、してました。
結果的にはうまくいったと思う。

 

 

2つ目は、3年の前期に行った、インターンシップのこと。
半年間週に3回、会社にインターンシップして、
経営戦略立てて、実際にPDCAサイクル回していくっていうもの。

 

それが大変だってね…。まず計画したことが通らんかった。
どうやったら人にうまく伝わるだろうって考えて…。
大人数の時と個人でアピール方法変えたり、
時間調整とか気を付けました。

 

1人でできることって少ないから、

「全体で良くなればいい」 って考えて、
相手を立てたりすることもあったなぁ。


インターンシップで特に印象に残ったことは
こんなに合わん人おる!?っていうのかな。

 

大学入ってから、外に出ようと意識して、

色んな人と話そうと思ってたんだけど、
自然と類とも呼んでたんだなって気づきました。

 

そこは結構閉鎖的で、こういう会社には行きたくないなって。
社内の風通しが悪いとか。小さいことかもしれないけど、
会社の見るポイントを学べました。

 

この人の下では働きたくないとかさ、思うけど、でも
社会に出たらそういうもんなんだろうなって。
でも、これも全部、行ってみなきゃわからなかった。
文字じゃ絶対分からんことを学べたのが良かったと思います。
       

 

[やればよかったこと]

 

A. 後悔していることは?
 
Q.基本ないけど… もっと外に出てもっと体験すれば良かったかな。
  もっと体験すればよかったなって。
  足を運んで初めて身につくことっていっぱいあるから。

 

  今からでもしようと思う。どんどん外に出たほうがいいよ!

  

 

[目標]

 

Q.社会人になってからの目標は何ですか?

 

A. 私と、私の大切な人、家族や友達が幸せになってくれたらいいな。


なんでもできるようになりたいとは言わない。
大切な人が笑っておってくれたらそれでいいじゃん、って思う。

10年後の世界って10年後の社会によるから分からない。
漠然とした分からないことに対する危機感って、よく分からない。
だから、目の前のことを精一杯やりたいと思う。

 

身の回りの人が、幸せに暮らしていけたら幸せだなぁ。
       

 

 

[学生へのメッセージ]

 

Q.下級生に一言お願いします!

 

A. 大学生って、やりたいことみつからないっていう人多いよね。


でも自分は、やりたいことって絶対自分の中にあると思ってるんだよね。

やりたいことをみつけるためには、
やるべきことを一生懸命やることが必要だと思う。

 

そしたら、これが終わったらあれがやりたい、
これ一生やりたくない、
これやってみたらめっちゃ面白かったかも とか出てくるよ。

要するに、判断材料が見つかる。

 

真っ暗な部屋で、「やりたいことが見つかりませんっ!」 って言うより、
やるべきことの部屋にいて、 「ああ、やらな!!」 って
やらないかんことがはっきりしているものから
やっていくしかないんじゃないかと思います。

 

 

 

 

インタビュアー 志水

 

文責 志水

 

 

「自分の気持ちに正直に生きよう。自分が楽しいと思えることをしよう。」鳥取大学地域学部地域環境学科 ぱんぴっと OB 山本勝也さん

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「自分の気持ちに正直に生きよう。自分が楽しいと思えることをしよう。」
鳥取大学地域学部地域環境学科 ぱんぴっと OB 山本勝也さん


・【所属・名前】
・【インタビュアーからの一言】
・【ぱんぴっととの出会い】
・【ぱんぴっとの活動で印象的なこと・転機となった出会い】
・【ぱんぴっとの活動を通して】
・【やり続けることの大変さ】
・【大学生に一言】

 

*【所属・名前】
鳥取大学地域学部地域環境学科 ぱんぴっとOB
山本勝也さん

 

*【インタビュアーからの一言】
フレンドリーで、とても話しやすい方です。
初めてのインタビューも緊張せずに楽しむことができました。
話を聞いて、とても楽しく過ごしておられるのが伝わってきて、私も誰かに楽しいことを共有できるような人になりたいと思いました。

 

*【ぱんぴっととの出会い】
Q.なぜ鳥取大学を選ばれたのですか?

A.一人暮らしがしたかったからです。親からそのためには国公立大学じゃないとだめだと言われました。広島出身の先生に、手の届くレベルでしっかりしている大学だからという理由で鳥取大学を進められたから、勉強しました。
今の学部では、科学(化学・物理)の基礎を学んで、地域と科学テクノロジーの融合について、学んでいます。

 

Q.ぱんぴっととの出会いを教えてください。

A.同じ学科の友達が和泉さん(ぱんぴっとOB)と地元が一緒で、その人に無理やり新歓に連れていかれたのが始まりです。
とりあえず、と軽い思いで入ったらここまできてしまいました。(笑)
やっていて楽しくなかったから、入団してから何度か辞めたいと思ったことはありました。
元々社会人と話すことに興味はなく、ある時にインタビューをした人をが、仕事をちゃんとやっていて軽い感じの人でした。たまそういう人に会いたいと思ったからここまで続けることができましたね。

 

*【ぱんぴっとの活動で印象的なこと・転機となった出会い】
Q.ぱんぴっとの活動をされてきた中で、印象に残ったことを教えてください。

A.イベントを初めて企画したことです。とてもやりがいを感じました。
鳥取大学OG/OBだっぴ、くりぴっと を企画しました。
企画を考えるときは参加してくれる人の立場を考えることを意識していました。

 

Q.先ほど、ぱんぴっとを続けてこられた理由として、ある人にインタビューしたからだとおしゃっていましたが、それはどのような人ですか?

A.池原さんという人です。モルタルマジックという会社の社長で、砂丘の砂を使ってフィギアを作るなどの観光的な仕事をされている人です。
元々阿蘇で火山灰を使って参考資源を作ることに成功されて、鳥取砂丘でもなにかできないだろうか?と思い、鳥取県に来られたそうです。
この方にインタビューして、自分がやりたいことをやっていて、好きなことを突き詰めているのがいいなと思いました。
その方の見た目は軽い感じで、普段忙しくても楽しそうに仕事をされていて、自分も将来そうなりたいと思いました。
その方へのインタビューを経て、『正直に生きよう。楽しいことをやろう。』と思いました。

 

Q.では、山本さんにとってその楽しいことはなんですか?

A.最近までしていた就活が楽しかったです。交通費に30万使いました。(笑)
せっかく遠いところに行くのだから、就活を観光にしようと思いました。
池原さんのように、しなくてはいけないことをやりつつ、ちゃんと楽しむことができました。

 

*【ぱんぴっとの活動を通して】
Q.ぱんぴっとでの活動を通して自分が成長したと感じる部分はありますか。

A.良い意味で口がうまくなりました。
自分が言ったことにいかに行動を追いつかせるか、という点では自分はまだまだだと思います。人の話の聞き方、程よくさぼるコツを学びました。
大学生は人間関係次第でとても充実したものになると思います。

そんな人間関係を築くうえでこの活動はよかったですね。

また、他のぱんぴっとのメンバーからも刺激を受けました。
大國さん(ぱんぴっとOG)たちと活動していてただただすごいなと思いました。あの人たちは自分のプライベートを削ってまでやっていて、本当にこの活動が好きなのだなと思いました。
自分はプライベートを削ってまで活動しようと最初は思わなかったけど、度々仲間に影響されたと思います。

 

Q.ぱんぴっとを含め、鳥取に来てよかったとおもうことを教えてください。

A.鳥取だったから、ぱんぴっとに入ったのだと思います。
東京や大阪ではこういう団体はたくさんあるけど、鳥取では逆にそういった団体が珍しかったため、せっかくだし入ってみようかなと思えましたね。

 

*【やり続けることの大変さ】
Q.鳥取大学に入る以前のことを教えてください。

A.まず中学の頃は色々と間違えました。
警察のお世話になったり、自覚がないままいじめの主犯にされたこともありました。
自分の中学校は野球がとても強くて、ベンチにいても試合に出れないことが多くありました。試合に出れなくて気持ちが腐ってくると、私生活まで荒んでしまいましたね。

高校のころは野球が楽しかったです。強くない高校だったけど、春の大会で県ベスト8まで勝ち進むことができました。
地方大会では高橋順平(現SB・ドラフト1位)とやりあったこともあります。(笑)
大学では肘を怪我して野球から離れました。それなら今までやってこなかったことをやろうと思い、ぱんぴっとに入りました。
いまでは社会人も入っている草野球チームに所属して野球を続けています。

どんなことでも一つのことをやり続けていたら嫌いになることはあると思います。
それでもひとつのことをやり続けることは、いろんなことに生きてくると思いますし、ぱんぴっとを最後まで続けることができました。
他にも、自分は大学に入ってから同じバイトを3年間続けているのですが、初めは嫌だったことでも今では楽に感じられます。続けていくとその先は楽になりますね。


*【大学生に一言】
Q.最後に、後輩に一言よろしくおねがいします。

A.今を楽しんでください。
大学生はあっという間に終わるので、今のうちにすきなことをしたり、行きたいところに絶対に行った方がいいです。
自分にとっては車で青森にいったことが大学生活で一番楽しかったですね。


インタビュアー:北川
文責:北川