ぱんぴっと! インタビュー記事

NPO法人学生人材バンク学生プロジェクト「ぱんぴっと!」。鳥取で活躍する魅力的な社会人へのインタビュー記事を掲載していきます。

「起こったことは受け入れて、できることを地道にコツコツ」鳥取県庁 山本尚生さん

 

 

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目次

 

 


[所属 名前]

鳥取県元気づくり総本部参画協働課

山本尚生さん

 


[インタビュアーからのひとこと]

浪人、海外でのボランティア、民間就職、うつ病

県庁に勤められるまでに本当に様々なことを

経験されている方です。

そんな山本さんが大切にされている考え方は

「地道にコツコツ」。

 

生きていると色々深く考えすぎてしまうことも

ありますが、シンプルに考えることで

生きやすくなるのかなと思いました。

 

 

 

 

 


[職業・仕事内容]

Q. 現在のご職業と仕事内容を教えてください。

 


A. 職業は公務員で、今は鳥取県元気づくり

  参画協働課に所属しています。

 

鳥取県内のボランティアやNPO活動など地域を

元気にする活動を応援する部署で、

県内のNPO活動をサポートしている、

とっとり県民活動活性化センターの支援もしています。

 

 

 

 

 

[きっかけ]

Q. 以前は県外の「ハートビートプラン」という

  会社で働かれていたそうですが、

  なぜ県庁で働こうと思われたのですか?

 

 


A. ハートビートプランは都市計画コンサルタント

という業種で地域を元気にする企画づくりと

試行をしていました。

 

それは大阪の会社ですが

自分は元々鳥取県出身ということもあり、

地元で何か地域に携わる仕事がしたいなと

思っていました。

 

公務員をずっと目指していたというわけでも

ないんですけど、地域づくりの経験がある社会人を

募集する採用枠がちょうどタイミングよくあったので

今がチャンスかなと思って志願しました。

 

 

 

 

[前職とのつながり]

Q. 鳥取に帰ってくるということは

  人生プランとして決めていたのでしょうか?

 

 


A. そうですね、大学時代に決めていました。

 

地元が好きということもありますが

大学に進学する時には「将来何になろう」って

特に決めていたわけではないのですが、

たまたま進んでいった先が地域活性化を考える

研究だったので、地元に携わらずに人生を終えるのは

悔いが残るだろうなって思っていました。

 

とは言っても、卒業してすぐ地元に帰るという

イメージはなかったので、一旦別のところで就職して

修行してから帰ろうと思っていました。

 

 


民間で働いていた時は

街の将来を考える仕事をしていましたので、

地域のおじいちゃんおばあちゃん、

行政の人など、いろんな立場の人と

コミュニケーションをとる必要がありました。

 

行政というのはみんなにとってメリットがあることを

考える仕事なので、それぞれの立場にいる人が

どういった状況に置かれているか、

何が嬉しいと思っているかなどを考えながら

仕事をしていた経験があるというのは大きいです。

 

 

 

 

[壁の乗り越え方]

Q. 一度うつ病を経験されているんですね。

 


A. 社会人3年目くらいになると任せられる仕事も

  多くなって、あまりの忙しさに朝から晩まで、

  土日も休みなく働いていた時がありました。

 

 

仕事自体はそれなりに成功してやり遂げていた

んですけど、やり終えたあとの脱力感、

燃え尽き症候群のようになったこと、

家庭とのバランスがとれないことに少しずつ

モヤモヤがたまって、半年くらいまともに仕事に

行けない期間がありました。

 

でも、ずっと寝ててもしょうがない。

やれることからやっていこうと思い、

やれることをやっていたら社長にも

「もう一回担当やってみるか」と言ってもらい、

「頼まれるということはできるんだろうな」

という気持ちにさせられて

なんとか復帰することができました。

 

仕事で関わっている人たちから

「一緒にやってよかった」と言われた時は、

認められたことが嬉しくて

そこから自信も少しずつ回復していきました。

 

 


一歩一歩やっていくというのは大切にしています。

 

うつ病になった時、朝起きれなくて。

どうしていこうかなと考えた時、

まずは朝起きて会社に行く、

それを毎日確実にやろうって思うようにしました。

 

仕事のことは、会社に行ってから考える。

普通は仕事のことはきちんと考えて準備するのが

理想的だけど、まずは「起きて会社に行く」。

 

 

その一歩一歩の積み重ねというのは、

つまずいた時に大切な考え方だなと思います。

 


大学入る時も1年浪人した経験があって、

勉強は結構自信があったつもりだったのに

不合格になって、「甘かったな」と反省しながらも、

じゃあそこからどうしていこうかなって考えた時、

毎日コツコツ勉強するしかない、

そういう気持ちでやっていました。

 

 

起こったことや目の前の状況は受け入れて、

できることを地道にコツコツ

毎日続けてやっていこうと思うようにしています。

 

 

 

[印象に残っている出会い]

Q. これまでの人生で印象に残っている

  出会いはありますか?

 

 


A. 前の会社のボス(社長)、泉さんです。

 


「会社」って言ってるけど、実は自分が入った頃は

泉さんが1人でやっていた企業でした。

 

 

その方は大学の先輩でもあって、

僕は1人目の社員でした。

今は社員さんは6人くらいに増えてるかな。

 

 

社長1人でやってる会社に就職しようと思ったのは、

その人が魅力的だったからというシンプルな理由です。

 

 

一言で言うと、簡単には死にそうにない人…(笑)。

 

 

「この人だったらついていって大丈夫だろう」って、

根拠のない理由を持っていました。

福利厚生とか給料とか、そういった話は全然なくて、

「その人についていきたい」という思いだけで

就職を決めました。

 


泉さんとの出会いは、自分が所属してる学科の

卒業生の進路について紹介する会があり、

それで社長に会いに行ったのがきっかけです。

 

 

話を聞いてすごく惹かれたので、

当時はこの言葉は一般的ではなかったけど、

今でいうインターンシップという形で

お手伝いをさせてもらえることになり、

続けてるうちにアルバイトとして雇ってもらいました。

 

 

そこから就活の時期になって、

「まだ働きたいから働かせてください」

とお願いして採用されました。

 

 

だから僕は、履歴書書いて、エントリーして、

説明会行って…といういわゆる就職活動というのを

やったことがないんです。(笑)

 


当時、会社の組織の中で働くイメージがつかなくて。

ただ、惹かれる人を見てると「この人すきだな」、

「この人についていきたい」という思いが

湧いてきて、その会社で働くことを選びました。

 

 

泉さんは都市計画コンサルタントという

職種自体の社会的地位向上、

その業界自体の人材育成にも意識がある方で

 

「重要な社会課題に向き合い、時間と労力が

かかるわりに給料や待遇があまりよくない」

という風潮がありましたが

でもそんなのでは後継者も増えないし、

 

業界の質を良くしていかないといけない

というふうに泉さんは思ってたので、

社員の生活と成長やモチベーションを考えて、

適切な給料と柔軟な働き方を整えていただきました。

 


泉さんは、街で自転車でこけたおばちゃんがいたら

すぐに荷物拾ってあげて「大丈夫ですか」と

自然と声をかける。

 

一緒に仕事してる目上の方がタバコのポイ捨てとか

してたら半分冗談交じりで

「何やってるんですか!拾ってくださいよ(笑)」

と言える人。

 

 

自分の意見を言える芯のある人だけど、優しさもある。

面倒見のいいアニキ肌で

社員にも街の人にもすごく慕われる人だったので

そういうところは特に魅力的だなと思っていました。

 


仕事においては、1人だからすべて1人でやるしかない

んだけど、全部自分でやるんですね。

企画つくって資料集めて話しに行って。

バイタリティーがないとできないことを、

自分が納得いくまでやり抜くスタイルも

かっこよかったです。

 

 

 

[学生時代のこと]

Q. アメリカやマレーシア、インドなど海外にも

  行かれたことがあるんですね。

 

 


A. 学生時代、海外の貧困地域に行って

  家を建てる活動をするボランティアサークルに

  入っていました。

 

 

観光で行くのではなくて

地元の人のくらしを見ることができること、

人の家を建てられることが楽しくてやっていました。

 


海外に行くと、「同じ人間なんだ」と安心する部分も

あるけど、そんなに真剣に考えなくてもいいんだ、

テキトウでもいいんだ、と思える部分もあります。

 


学生時代のうちはとにかくいろんなことを

やってみたくて、海外に行くのもやってみたかった

ことの1つだったのでちょこちょこ行っていました。

 

 

僕は自分でしっかり考えて決断するときもあるけれど、

多いのは人に誘われて行動することなんです。

 

 

その人が面白いと思ってることが気になって、

自分が魅力的だと思った人からの誘いがきっかけで

結構いろんなことをやってきました。

 


友達との付き合いもすごく楽しくて、

テスト期間になれば5、6人で教科書の担当を

振り分けて授業する、というのをやっていました。

「これここポイントだから!」って、

試験は団結力で乗り越えていました。

 

 

 

[今後の目標]

Q. 今後やりたいこと、挑戦したいことは

  ありますか?

 


A. 実はいま、迷ってて。

  何したらいいかなって(笑)

 


街の人と一緒に地域を盛り上げるようなことを

したいな。

イベントよりもう少し長く続く

プロジェクトみたいなイメージ。

もしかしたらそれは仕事ではないところ

なのかも知れないけど…。

 

 

今は鳥取市に住んでいるけれど、

出身の若桜とか八頭郡とかのカントリーサイドで

できることに携わっていきたいです。

 

 

 

[学生へのメッセージ]

Q. 最後に、学生へのメッセージをお願いします。

 


A. 自分の興味・関心を引き出して

  行動してみてほしいですね。

 

 

これは自分めっちゃ好きだな

(嫌いだなというのもあるかも知れないけど)

という、そういう感情を出していく。

 

自分が好きなこと気になることを試していくのを

やってみたらいいんじゃないかな。

 


仕事だけが人生じゃないし、

自分に合う/合わない、向いてる/向いてないとかって

見つけるの難しいですよね。

 

 

学生時代はお金はないかもしれないけど

行動できる可能性は広がっているし、

学生は社会から寛容に受け入れられるという部分も

あるから「やってみたいからやらせてください」って

声をかけてみるとそれを受け入れてくれる人もいる。

 

 

節度を持ちながら、いろいろやってみたら

いいんじゃないかなと思います。

 

 

 

 

 

インタビュアー : 佐伯、岡本

文責 : 佐伯

【人のためだけに生きるのは難しい。最後は自分が満足することをしたい】自然がっこう旅をする木 得田 優さん

 

 

 

 

 

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目次
・名前 
・インタビュアーからのひとこと
・以前の仕事について
・海外を旅したことについて
・人生のなかで大切にしていること
・現在の仕事のやりがい
・大学生へメッセージ
 
【名前】 
自然がっこう旅をする木
得田 優さん

【インタビュアーからひとこと】
「自然がっこう旅をする木」で子供たちに最低限のルールの中で子供たち自身がしたいことをしてもらうスタンスで自然育児サークル、幼児スクールをされています。
「自分のやりたいことはしてみる」ということを大切にしておられ、広告の仕事、旅、自然がっこう旅をする木を経験されています。
インタビューをして、私もやりたいけどできずにいたことをしようと思いました。


【以前の仕事について】
Q.以前の仕事について教えてください。

A. 以前は、広告の仕事をしていました。

作ることが面白いなと思っていて、写真とか文字を使った仕事は何だろうと思ったことがきっかけで広告の世界に入りましたね。

広告の仕事をしているときにケニアに仕事をしに行ったのですが、ケニアでは、食べ物がなくて、学校では昼にトウモロコシを配っていて、子供たちはそれを食べずに家に持ち帰って家族にあげていました。それには、とても驚きましたね。

日本では、物が当たり前に買える。この社会で生きていくためにはお金が必要でそのために働いていることに気づいたんですよ。それで、ふと自分の将来を考えると、このまま都会で生きていくイメージができなくて、、もっともっと自分の知らないことを知って生きていきたいと思い仕事を辞めて海外を旅することにしました。

【海外を旅したことについて】
Q.バックパッカーとして海外を旅したことについて教えてください。

A. アジアの途上国に行きました。

みんな、山の中で暮らしたり、標高3000m以上のところで暮らしたり、砂漠の中で暮らしたり、自然の中で暮らしていました。
こんなところでどうやって暮らしていきていくの?
ってところでも、自然の環境を上手く利用しながら工夫して生きていました。彼らは、無いものはお金で買うのではなく、自分たちで作っていました。こういう風に生きている人は日本以外の国ですごい多いことを知りました。日本で生きていると、日本では日本の価値観に合わせないと生きていけない風に思いがちですがそうではないと思います。

【人生のなかで大切にしていること】
Q.人生のなかで大切にしていることを教えてください。

A. 一番大切にしていることは、自分がやりたいかどうかですかね。やりたくないことをやるのは、物凄く疲れるし時間がかかって効率が悪いと思います。なので、人のためにやるってことより自分のやりたいことを中心に考えることが多いです(笑)

物事をする前には、不安もあります。でも、その不安を消すための一番の方法は「する」ことだと思います。ダメならやめればいいと思います。

【現在の仕事のやりがい】
Q.この仕事をする上でのやりがいを教えてください。

A.今日は子供たちとキャンプで川を上ったんですけど、その時に僕も行ったことのない川に行くことができるので面白いですね。この仕事は、子供たちと一緒に新しい風景を見ることができます。子供たちは、僕の興味のないことを見せてくれるので楽しいです。

【大学生へメッセージ】
Q.大学生にアドバイスをお願いします。

A. 一人で旅はしたほうがいいと思います。

今は、携帯があるので一人の時間をとるのが難しいと思う。旅にでて一人で何かを考えたり、一人の時間を過ごした方がいいと思います。また、やりたいと思っていることはやるべきです。ダメだったらやめればいい。

インタビュアー 志茂、田中、大國
文責 志茂

「目の前の人を大切にすること」カウンセラー 山根 恒さん

 

 

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目次

・【所属 名前】

・【インタビュアーからのひとこと】

・今のお仕事について

・カウンセラーになったきっかけ

子ども食堂

・心に残ったエピソード

・今の社会に思うこと

・学生へのメッセージ

 

 

【所属 名前】

カウンセラー 山根 恒さん

 

 

【インタビュアーからのひとこと】

人に寄り添う、心から向き合うお仕事であるカウンセラー。少しでも人を大切にする行動や気持ちをもつだけで社会は変わっていくのだと感じました。また、子どもを始め、町の人々を繋ぐ第3の居場所である子ども食堂はとても魅力的です。山根さんのお話の中で、皆さんに伝えたい事がたくさんあるので、記事が長文になっていますがご了承ください…!

 

 

Q.今のお仕事について教えてください。

 

 

A.鳥取県刑務所の処遇カウンセラー、人権相談センター(週末)ハローワーク(月1回)、人権局UD推進専門員、パレットとっとりで子ども食堂(週2回)をしています。

 

 

 

Q.カウンセラーになられた経緯を教えてください。

 

 

A.どの仕事も「人の相談にのる」という点で共通していると思う。

 

 

最初、27歳までコンピューターのシステムエンジニアとして働き、児童館で3年間働き、鳥取商工会議所で経営指導員として10年間働いた後、カウンセラーの資格をとって現在に至る。実は、高校生の頃からカウンセラーに興味はあったが、取得方法がわからなかった。働き出してから、高校生の活動を支援する活動に関わっっているうちに、高校生の悩みを聴くことが多くなり、高校の教員や先輩にカウンセラーに向いてるんじゃないの?と言われたのでやってみようと思った。振り返ってみると、一見関連性がない経歴だと思われるけれど、「人の相談にのる」という点では共通していると思う。

 

 

 

Q.子ども食堂をつくったきっかけは何ですか?

 

 

A.コンセプトは「誰もがわくわくするような場所」

 

 

受験や進学、就職といったライフイベントを迎える中学生・高校生に来てほしいと思い、駅に近いまちなかにつくりたいと思っていた時に、当時の本通り商店街の理事長が「子どもがたくさん集まるなら、パレットとっとりを使え。」と後押ししてくれた。町に賑わいをつくりたいという思いと子どもを集めたいという思いがマッチした。コンセプトは、子どもに限らず、その保護者を始め「利用してくれる人を大切にする」ということと、「誰もがわくわくするような場所」。運営には、カウンセラー、管理栄養士、元小学校の校長先生、大学生、高校生が関わっていて、利用する子どもの保護者も生活や子育ての事などを気軽に相談できる場所にもなっている。今は「子ども食堂」という名前だが、将来は子ども食堂を核にしながら、「地域食堂」を目指している。

 

 

 

Q.子ども食堂の魅力は何ですか?

 

 

A.たくさんの知恵が集まる場所。

 

 

子ども食堂にはいろんな可能性がある。食堂をツールにして誰もが集える場所になる。そこにいろんな人がいるから、いろんな知恵が集まる。例えば、どんな地域にしようかと話をしたり、課題があれば解決方法を出して一緒にやろうという話になるなど、地域力を高めていくこともできると思う。

 

 

Q.心に残ったエピソードはありますか?

 

A.家庭の都合で子ども食堂に行けない日、ある子どもたちが母親に「連れて行ってー!送ってくれるだけでいいから!」と泣きながら訴えていたこと。宿題を終わらせないと子ども食堂に行かせないというルールをつくったら子ども食堂がない日でも宿題をするように習慣がついたこと。あるお母さんの仕事が決まらないことで悩んでいたが、食堂に来て話をすることで、次も頑張ろう!という気持ちになっていること。

 

 

 

Q.社会に思うことはありますか?

 

 

A.もっと人を大切にしようよ。

 

 

例えば、困っている人を対象外だからといって簡単に突き放すのではなくて、その人がもう少し生きやすくするためにはどうしたら良いだろうかと一緒に考えるような対応をするだけで、自分の気持ちを聞いてもらえたと思って帰ることができる。人を大切にすればギスギスした社会にならないんじゃないかな。…現代は余裕がないからかな。昔は、皆が裕福ではなかったけれど、寛容さはあった。寛容さがないから人を大切にできないんじゃないかな。

 

 

 

Q.学生へメッセージ

辛いときには「助けて」って言っていいんだよ。でも本当に言って良いんだろうかと思うよね。それは、自分で何でもやらなければならないって社会が思わせているだけだから。

「共感力」を高めてください。そうするともっと人を大切にできるようになる。

また、人のために働く理由として、今の自分があるのはその時々にいろんな人に支えられてきたから。処遇カウンセラーとして罪を犯した人の成育歴を見ると、その人は最初から罪を犯す人ではなくて、ある出来事が起きた時に、そばで寄り添ってくれる人がいれば生き方は変わっていたんじゃないかと思う人が多い。その人に関わる人によって生き方が変わる。皆さんが、今の自分があるのは、自分の努力はもちろんだが、いろいろな場面で関わってくれる人がいたからだと思います。

 

 

▼パレット鳥取 子ども食堂の情報は『パレットこども食堂』(Facebook)で検索!

鳥取市子ども食堂情報は『鳥取市公式ウェブサイト 子ども食堂』で検索!

 

 

インタビュアー:大國&稲葉

文責:大國

「鳥取の大学生に社会(鳥取)を知ってもらいたい」 鳥取大学 COC+事業推進室 地域連携コーディネーター 沖正弘さん

 

 

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目次

・[所属 名前]

・[インタビュアーからのひとこと]

・[職業・仕事内容] 

・[仕事を始める前までのこと] 

・[大切にしていること]

・[鳥取で働くとは?] 

・[今後の目標]

・[学生へのメッセージ] 

 

 

 [所属 名前]

鳥取大学 COC+事業推進室

地域連携コーディネーター 沖正弘さん

 

 

 [インタビュアーからのひとこと]

  お仕事のこと人生のことなどインタビューを通してたくさんのことを教えていただきました。銀行員という職1つ挙げても経済系だけではなく、国際系や法律のことも関わってくるなど仕事の可能性が広がりました。また、COC+の取組みも紹介していただきぜひ利用させていただきたいと思いました。

 

 

[職業・仕事内容] 

Q.ご職業とお仕事の内容を教えてください。

 

A.平成27年鳥取大学が採択を受けた文部科学省の補助事業(5年間)であるCOC+事業のコーディネーターの仕事をしています。

 前職は、銀行員をしていてこのCOC+事業のコーディネーターとして鳥取大学に派遣されて3年目になります。仕事内容としては、COC+セミナーの企画・開催や鳥取の企業を見るためのシャトル便の運営等々多岐に渡ります。学生に鳥取を知ってもらいながら世界を広げ鳥取での就職を目標に仕事をしています。

 

 

[仕事を始める前までのこと]

Q.前職のこと、お仕事を始める前までのことを教えてください

 

A.前職は、銀行員でした。仕事を始める前から今もずっと外国(英語)に興味があります。

  若い頃、京都で外国人と会って話したことから英語が好きになりました。日本人同士で英語を話すのとはなんか違いましたね。英語と法律の職に就きたいと思い始めた頃、銀行員でも外国為替などで英語を使えることを知り銀行員になりました。銀行員と自分のベクトルが合っていました。銀行員として頑張り、東京へ行けることになりそこでは英語も必要になり英語と法律の仕事がしたいという目標が達成できました。国際分野の経験が全体の三分の一を占めており、普通の銀行員とは一味違った人生を経ています。

 

 

[大切にしていること]

Q.大切にしている考え方は何ですか?

 

A.「人生塞翁が馬」、「順境には用心を逆境には忍耐を」、「財産は友なり」の言葉です。

  人生の幸不幸は予測できないもので、人生のブレは考えないようにしています。マイナスに思っていても無駄はないと思っています。お金はいずれなくなるが友達はそうではなくて財産ですね。当たり前のことを当たり前にすることが大切です。

  また、商売をする際にその地域の方言を話すことを大切にしています。そこの地の言葉をしゃべれないと商売できないですからね。

 

 

鳥取で働くこと]

Q.沖さんにとって、鳥取で働くことについて教えてください

 

A.人は東京に集まりやすいですが鳥取は環境(自然)が良いです。都会はたまに遊びに行く程度だから良いと思います。私にとって、鳥取はふるさとです。

 若者に県外に出るなら東京とかではなく海外に目を向けなさいと伝えたいですね。今の世の中、地方を通して世界を見てほしいなと思っています。

 

 

[今後の目標]

Q.今後の目標を教えてください

 

A.最後まで走り抜けたいです。

 仕事を通して、今の学生が地元で活躍できるようになるための人材育成をすることが目標です。今の仕事を土台に次のステージへつなげたいですね。今、鳥取に来ている学生に鳥取に定着してもらいたいですね。鳥取県外に出るのは良いのですが、鳥取の企業を知ったうえで出てほしいです。

 

 

[学生へのメッセージ]

サントリーブランデー「VSOP」をもじって

V:Variety 20代 いろいろやる(体験)

S:Speciality 30代 得意(専門)分野を持つ

O:Originality 40代 独創性を備える

P:Personarlity 50代 人間性を磨く

を伝えたいです。失敗は未来の成功につながっています。「シンプルイズベスト」です。

また、時間を守ること挨拶をすることが当たり前にできるようになると信用につながりますね。

 

 

インタビュアー:岡本&秋山

文責:岡本

「自分がされて嬉しかったこと、してほしかったことは人にする。それは巡り巡って自分の子どもや孫に返ってくるから。」岩美町地域連携コーディネーター 島本理代さん

 

 

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目次

・〔所属・名前〕

・〔インタビュアーからのひとこと〕

・〔職業・仕事内容〕

・〔仕事を始めたきっかけ〕

・〔仕事のやりがい〕

・〔岩美町について〕

・〔支えてくれるもの、大切にしている事〕

・〔学生へのメッセージ〕

 

 

[所属 名前]

岩美町地域連携コーディネーター 島本理代さん

 

 

[インタビュアーからのひとこと]

  岩美が大好きで、「笑顔」を大切にされている島本さん。インタビュー中に言われていた一つひとつの言葉がとても心に響きました。私も、島本さんのように誰かのため地域のために何かできるような人になりたいなと思いました。また、岩美町の良いところをたくさん教えてもらったのでぜひ訪れてみたいです!

 

 

[職業・仕事内容]

Q.ご職業とお仕事の内容を教えてください。

 

A.岩美町地域連携コーディネーターという、“地域連携“に特化した職業です。

主に、岩美町にある県立高校と、岩美町を主軸にしたあらゆるヒト・モノ・コトとを繋いでそれぞれの可能性を拡げ、そこに生まれた魅力を発信していく仕事をしています。

 

 

[その仕事を始めたきっかけ]

Q.その仕事をはじめられたきっかけは何ですか?

 

A.岩美町が大好きで、岩美町で生活がしたかったから。

 初めて岩美町を訪れた時に、景色、人、食べ物に魅了されました。それから頻繁に岩美町を訪れるようになり、町内の方に「(そんなに頻繁に来るなら)引っ越してきたら?」と言われ、「この仕事(地域おこし協力隊)募集しているよ。」と紹介されて、岩美町にIターンし、現在の仕事の前身である高校魅力化コーディネーターをすることになりました。

 

[仕事のやりがい]

Q.やりがいは何ですか?

 

A.高校生をはじめ、関わる方の笑顔が全てのやりがいです。

 高校で展開している地域課題解決型学習(実践型)などによって、以前と比べ地域の方々と高校生が積極的に関わる機会が増えたため、地域の方々から「高校生と関わることでやりがいを見いだせて元気が出たよ。」、「高校生に自分の知識や技術を教えられる、若い人たちと一緒に何かやれることが自信につながったよ。」と笑顔を向けてくださることが増えました。

みなさんの笑顔を引き出せる瞬間がとてもうれしいです。高校生のキラキラした姿を見ることができるのもうれしいですね。

 

 

[岩美町について]

Q.岩美町のどこに魅了されましたか?

 

A.岩美町のみんなが家族のような存在で、見ず知らずの人もウェルカムなところかな。

 岩美町に来る前は、島根県松江市で暮らしていて、隣に誰が住んでいるのかさえ知る機会がない(接点がない)生活を送っていました。でも岩美町はみんなが家族のように迎え入れてくれて、それぞれが自然と助け合って生活しています。また便利なモノが良いと思われがちだけど、手間をかけることが大事なことだなと思わせてくれたのも岩美町での暮らしでした。そうすることで、より「生きてるなぁ…」としみじみ感じることができるからです。

食べ物や行事から季節を感じることができるところも素敵です。毎日新しい発見があり飽きないですね。

 

 

Q.岩美町の課題点は何ですか?

 

A.岩美で見られる光景が特別なことだと思っていないことです。

 例えば、たくさん獲れたからお裾分け…と、家に野菜や魚を届けてくれたり、歩いていると「乗せていってあげるよ」と車に乗せてくれたり…そういうことが当たり前のように行われているけれど全部特別でとっても素敵なことだなと思います。

また、中山間地域であればどこもが抱えているであろう少子高齢化問題ですが、防ぐこと・解消することはとても難しいと思います。自分たちの地域をどうすれば残していけるか、守っていけるかを高校生のうちからジブンゴトとして捉えることができるようになるということが大切かな。高校を卒業して、一度都会(ソト)に出てもいいから、また故郷(ウチ)に還ってくる流れを作れたらと思います。地域の担い手・創り手をウチに閉じ込めようとするのではなくて、一度広い世界に羽ばたいても、また戻ってきたいと思わせることが重要かなと思っています。

 

 

[支えてくれるもの、大切にしていること]

Q.支えてくれるものは何ですか?

 

A.高校生たちの笑顔です。

 最近嬉しかったことは、「僕らの学校を頼んだよ」と卒業生に言われたことです。中山間地域にある学校は小・中・高校とも少子化の影響で統廃合の危機にさらされているところが多いのが現状です。「僕らの学校をなくさないで」と言われた時に、良い意味でのプレッシャーと頼りにしてくれているという嬉しさで、よし頑張ろう!ってなりました。また、生徒たちが、「こんなことがしてみたい!」と企画を立ち上げてチャレンジしていく姿を見ていると元気をもらえます。

誰かの”チャレンジしたいこと“のお手伝い、願いを叶えるためのサポートをさせてもらえるこの仕事はとてもやりがいがありすごく楽しいです。

 

 

Q.大切にしていることはありますか?

 

A.「反省しても後悔するな」という言葉です。また、おばあちゃんが言ってくれた言葉も大切にしています。

 今していることは、どれも自分が“チャレンジしたい”という思いから選択したことです。私は自然とワクワクして何をやっていても楽しさを感じています。

たまに落ち込んだりもしますが、そんな時は県外などに出かけ、切り替える時間を取っています。その場を1回離れてみる勇気も大切。また新鮮な気持ちで続けてみるようにしています。

幼い頃、おばあちゃんに「あんたは器量もない、かわいそうにな。でも誰にでも輝くものがある。それは笑顔。笑顔でいたら可愛がってもらえるから。」と言われてからは、笑顔でいることを大切にしています。また、「なんもない」と言われたことも、考え方を変えれば、何でもできて、何にでもなれるじゃんと思えて自分の可能性を考えるとワクワクしました。この言葉以外にも生きる上での大切なことをたくさん教えてくれたおばあちゃんのことを今でも尊敬しています。

 

 

[学生へのメッセージ]

なんにでもトライしてみんさいな。自分のチャレンジにゴール設定はせずに、ここまでって限界を決めないことが大切です。いろんなことにチャレンジして、可能性をどんどん広げて欲しいです。

 

 

インタビュアー:岡本&佐伯

文責:岡本 

 

「人の縁って不思議なもので、何かしら繋がってくるんですよね。」智頭急行株式会社運転士 伊田大輝さん

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目次

・[所属・お名前]

・[インタビュアーからのひとこと]

・[職業・仕事内容]

・[きっかけ]

・[大切にされていること]

・[鳥取で働くことについて]

・[鳥取に求めるもの]

・[学生へのメッセージ] 

 

 

 

・所属・お名前  

 智頭急行株式会社運転士 伊田大輝さん

 

・インタビュアーからのひとこと

 スーパーはくとがきっかけで智頭急行の運転士になられました。子供の頃からの憧れを一直線に追いかけて、それをお仕事になさった素敵な方です。

 

 

Q:お仕事の内容を教えてください。

 

A:スーパーはくとスーパーいなばの2つの特急列車と普通列車智頭急行区間内で運転しています。

 

 

Q: 今のご職業を目指された理由を教えてください。

 

A:自分は用瀬(鳥取県)で生まれ育ったんですけど、小学校の修学旅行で関西方面に行くときにスーパーはくとの先頭車両を1両貸し切って、大阪まで行ったんですけど、そのときにはくとの先頭を見て、「あぁ、将来運転できたらいいな」っていう、そういうのが芽生えたのは12歳の頃。だから、今の会社もそうですけど、はくとで目覚めてしまった、というのが一番大きなところですね。高校2年生の秋頃から学校に智頭急行に就職したいということは言い続けていて、3年生の時に求人が来たので智頭急行に決めました。自分が考えていたのは地元に残りたいということでしたが、JRは営業する範囲が広いので、どこに行けと言われてもおかしくなく、なかなか鳥取に帰ってこられなくなる。鳥取に帰ってこられたとしても米子だったりするので、それなら、ということで智頭急行に決めました。

会社を17歳の時から知らべていて、18歳の時に会社を訪問させていただいたりしてました。合同説明会で会社のブースがあったのでそこに行って、「詳しいお話をお聞きしたいのですがどうすればよろしいですか」って聞いたら「学校から会社に連絡をください」ということだったので学校に連絡してもらって、一人で会社まで行きました。(会社の方に)「一人で来たのは初めてだよ。大体は説明会だけで終わっちゃうんだけどね」って言われました。

 

 

Q:お仕事の中で気を遣うところ、大切にされていることはありますか?

 

A:車掌時代はやっぱり観光案内。車掌だと倉吉にも行きますので、沿線のことを知っておかなくちゃいけない。自分は湖陵高校出身で、用瀬から鳥取大学前まで列車で通学していたので、湖山池があるとか、いろんなところがあるっていうのは知ってました。情報は逐一入れるようにしています。地区のイベントだったり、例えば鳥取駅から鳥取砂丘にどう行くのか、とか、どういうバスの行き先があったかなとか。あとはコンサートがあるとか、学会発表があるとか。そういう時はお客さんが多くなってくるので、運転士としてもちょっとピリピリしてたり気を遣ったりはしますね。

 

 Q:鳥取で働くことについて教えてください

 

A:自分は地元に恩義があるというか、いろんな人にお世話になって、社会人になってもお世話になりっぱなしなところも多いんですけど、少しでも恩返しがしたいっていう思いが心の中にあるので。全国大会やインターハイに出たなんてことはないけれど、地元で柔道をやっていたので、今は指導者の一人としても、審判とか、大会運営とかで自分にできることをやりたい、地元に貢献したいというのはありますね。

 

 

Q:智頭急行の運転士として鳥取に求めるものはなんですか?

 

A:自分が努力しなくちゃいけないなと思うのは、智頭急行という会社の知名度です。「鳥取の鉄道会社ってどこが思い浮かびますか?」と聞いても智頭急行の名前はなかなか出ないんです。でも、「鳥取の列車って何がありますか?」と聞くとスーパーはくとの名前は出てくるんです。はくとの名前は出るんですけど、「スーパーはくと智頭急行の車両か」と聞かれるとあまりピンとこない人が多いです。「JRの車両じゃ ないんですか?」と言われることがよくあります。「スーパーはくと=智頭急行」になってないんです。なので、自分がまずしなくちゃいけないのは、はくとが智頭急行の車両であることを説明して、人々の認識を「スーパーはくと=智頭急行」にすることです。それができることで会社の知名度はぐっと上がると思います。

 

 

Q:伊田さんご自身が鳥取に求めるものを教えてください

 

A:(鳥取県)東部の方って、あんまりしゃべらないですね。東部は特にそうだと思いますね。シャイな方が結構いらっしゃいますし。「(メディアの)インタビューなんかで鳥取駅に行くとあんまり人がしゃべりたがらない。『インタビュー泣かせ』だ」なんてことは言われますね。米子のほうに行くと明るくて、インタビューなんかも答えていただけるらしいんですけど。伝えるのがあんまり得意じゃないのかな? 自分もそうですけど。風土として大人しいというか。でも、人に親切にすること。あれはすごいと思いますけどね。親密になればその分みんな協力してくれたり、深く話ができたりするんですけど、最初の取っ組み方、接し方ですよね。そこがちょっと…… 初めての人にはちょっと冷たいというか、そういうところはありますね。

 

 

 

・学生へのメッセージをお願いします

 

チャンスはいっぱいあるし、どこにでも転がっているから、それを見つけることが大事。人の縁って不思議なもので、何かしら繋がってくるんですよね。誰かがやっぱり見てるんですね。

 

 

 

インタビュアー:木下&山本

 

文責:木下

「何事も行動あるべし!前向きを大切に!」鈴木 佑介さん 高等学校教諭

 

 

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目次

・【所属 名前】

・【インタビュアーからのひとこと】

 教員1年目のこと

・大切にしている考え方

 教員を選んだきっかけ

・学生へのメッセージ

 

 

【所属 名前】

鳥取県私立鳥取城北高等学校理科教諭 鈴木 佑介 さん(教員4年目)

 

 

【インタビュアーからのひとこと】

「教員」といった職業を耳にしたときに私の周りの友人は「先生って大変だね」とか「子どものことが好きじゃないとやっていけないよね」などと話をします。確かに「教員」って子どものことを第一に考えなくてはならないし、最近ではいじめや不登校などの問題も絶えず起きている中で子どものことを守っていけるのかといった不安は確かにあります。しかし今回、鈴木先生とのインタビューの中で「教員」とは子どもに何かを教えると同時に教員も学ぶことはたくさんある。そのためには人間関係を築くとともに何事も楽しむ姿勢をみせることが大切であると熱く語ってくださいました。本当に教員になってから様々な経験を積んできたからこそ、先生ならでは大切にしているとともに充実な時間を過ごしているのだと感じました。

私自身も教員を目指すまでに鈴木先生のように今を大切に生きていきたいと考えました。

 

 

 

 

Q.教員1年目のころのことを教えてください。

 

 

 

A.仕事をこなすのに精いっぱい。子どものことを考えるのは二の次に。

 

 

1年目は副担任を担当。当初は教師の仕事はどういうものであるのかといった勉強期間に充てていた。新任当時は生徒とのコミュニケーションをどう図ればいいのかわからなかった。それと同時に授業準備や事務的な仕事も私が思っていたほどたくさんあり、子どものことを考えることを後回しにしてしまった。しかも私はバドミントンをやっていたんですが、1年目からバドミントン部の顧問を持つことになりました。高校は6月ごろに県総体があり3年生にとっては最後の大会。4月に新しく入った私が残りの3か月で特に3年生にどういう声掛けや指導ができるのかわからなかった。しかしバドミントンは冬に初心者大会というものがありそこで見事優勝してくれたことが何よりもうれしかったです。今振り返ってみれば、勉強も部活も私が1年目に関わった生徒に関しては申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

 

 

Q.鈴木先生の中で大切にしている考え方・理由を教えてください。

 

 

 

A.下学上達(ががくじょうたつ)→当事者意識を感じてほしい。

 

 

鳥取城北高校では教員11人がネームタグをかけているのですが、そこに教師が大切にしたいことを書く欄があるんですね。私は「下学上達」って書きました。意味は生きている中で日々、様々なところから学んで、次第に深い学問に進んでいくこと。私はそのために常に生徒と関わるとこを忘れないように自分に言い聞かせてます。単純接触効果といって用がなくても、ちょっとした会話は交わすようにしています。そういう点でどの職業に就いても人間関系・信頼関係は大切ですね。私は「言う」のではなく「伝わる」といった風にし、関わりの中でも指導できるように気軽に悩みなどを聞き出しやすい環境を整えたいです。まだそのところは今後の課題でもありますね。

 

 

 

Q. 高校教員になるための決意は何だったのか教えてください。

 

 

 

A. 母校(高校)実習に行ったのがきっかけ。子どもの一生懸命さに感動。

 

 

教育実習で生徒と過ごす日々が楽しかった。私は自分の地元の高校を卒業したので、教育実習は自分の高校に実習に行こうと決めていました。高校生から学ぶことがたくさんありました。特に高校生はすぐに話しかけてくれたり関わる楽しさを教えてくれたり、頼られることの大切さを改めて感じさせてくれた。中でも母校の男子バスケ部の試合を見ていた時に授業で関わったことのある子も試合に出ていたのだが、普段授業では見せることのない一生懸命さに感動した。高校は人間形成能力の育成の場で生徒の成長とともに将来を見据えている子の持ち込むエネルギーに圧倒してしまい自分もこの現場に身を置きたいといった思いがあふれ出し、将来は高校の教員になると固く決意しました。

 

 

 

Q.学生へメッセージ

私が学生に伝えたいことは、大学生の間にいろんなことに挑戦してほしいといったこと。学生のうちに例えば教師になりたいなら教員になるための学習だけをするのではなく、様々なジャンルのことを学んで1つでも多くのことを吸収してほしいです。途中でうまくいかなくても大丈夫。大事なのは何かをやってみようといった気持ちを持つことが大切。何かを成し遂げるためには必ず時間をかける必要がある。時間をかけること自体に大きな意味があると私は思う。最後に何かに失敗したとき人は何かを抱えたり心配になることがありますが大体何とでもなります。むしろ思いつめることではなくあきらめず前に進むといった姿勢をとってください。

 

 

 

インタビュアー:田中&長谷部

文責:田中